帰ってきてから2日間。雪は積もらず、降りもせずだったけれども、今日は夕方くらいから雷と大雨。
日々の夜型の生活から、生活リズムが変わりすぎて、変な時間に目が覚めたり、睡眠が浅かったり。今日はずっと眠い。そして、もう夜。お風呂に入りながら、窓の外の雨の音を聞く。日々の一人暮らし、わたしのアパートには風呂場に窓がなくて、強く雨が落ちていく音も聞くことがなくなったんやなぁと気がつく。ザーザー降っている雨音が今日は心地がよかった。
去年、会社の旅行で大阪に行ったときに、人混みや都会に行ってもそんなに身体がこわばるわけではなくて、「もうどこでもいけるんやな」という気持ちになった。
広島はもちろん、実家近隣の県、そのほかにも東京、長野、大阪、福岡、兵庫へ行った。
行きたいタイミングにいろんな場所で遊んだ一年だった。
11月のjabbklab(福岡)ダンス公演。12月の毎年ありがたいことに本屋さんたちが来てくれる忘年会。そして、さっき、百万年書房さんの『調子悪くて当たり前日記』を読み終えた。
これらの後に強く感じたのが、みんなが日常を生きているということだった。
11月のダンス公演は、東京→大阪→福岡という3箇所をまわるツアーだったのだけど、合間には日々のダンスレッスンが行われていた。
ツアーだから、ツアーのメンバーが集中して公演を成功させるするために、レッスンを前倒しにしたりして、休講にする選択肢もあったかもしれない。でもそんなことなく、福岡の公民館へ戻り、いつもと同じように金曜日の夜にはレッスンが行われていた。そしてピックアップ動画(そのレッスン時、踊りが良かった子を集めて一発撮りをするやつ)も毎回あがっていた。わたしは毎週金曜日の夜、それを見るのが楽しみだった。
見える部分だけではなく、見えてない部分で皆がみな、いろんなところで奮闘していると思うと、一緒に歩いていけるような気がする。
12月の忘年会の後も、それぞれの日常へ戻っていく感じがあった。今年は、気晴らしに料理するという、高校生の頃の部活並行する中で、模試とかテスト終わりのお菓子作りの感覚を思い出すことができた。一年後の忘年会(あるのか?笑)の時、みんなの顔が思い浮かんで、今年よりも作りたいものが浮かんで、作りたい気持ちが湧いてきて、作れたらいいなと思う。作るからには喜んでもらいたいので、そう思うと、非日常と日常はセットだなぁとより感じた出来事だった。
『調子悪くて当たり前日記』は、店主の北尾さんの癌の闘病日記という側面があるのだけれども、浮き沈みがある中でも、日々の生活のリズムを淡々と記されていて、それが心地よいものだった。読めない漢字の料理の名前(わたしは!)がとにかく美味しそうだった。たしか先週の休日に、これでいいやとルーティン化してた食べ物をやめて、その日は味噌ラーメンを食べに出かけた。ラジオで交通情報聞きながら食べるラーメンは、前職ぶりで、うまかった。『自分思い上がってました日記』も含めて、病のしんどいことも淡々と書かれてたりしたけれど、固定観念のような、病の深刻さに引っ張られることなく、合間合間に「そうよな!」とわたしまで奮い立たせてくれる本だったように思う。家族の会話もすきだった。ダンスの話も、ここ数年なぜか惹かれ出しているので、興味深かった。勉強していこうと思う。
今年後半は、特に慌ただしかった。でも休日、家事を終えたら本読んで、時間があれば文章を書くことまでを一年通してできてよかった。今年のわたしには、本を休みの日に読むことが、気持ちを整えるルーティンだった。もうすぐ本棚、お気に入りの棚が一列ぴったり完成しそうで、ありがたい。映画は今までの半分くらいの本数しか見れなかった。寝る前に漫画を読む以外にも、今年はラジオもよく聞いた。ヨガポールはまだ使っている。
すきなことが広がって、人と共有できるものが増えてきて嬉しかった。一人で遊びに行くことも多かったけれど、みんなで楽しめたものは今年、自分の中で大きかった。6月の浮さんのライブ以降、出勤行き帰りにはほぼずっと、そのCD聞きながら運転をした。わたしの糧。
来年、心身共にハードそう。
目の前の日常を、すきなことを組み込みながら、日々過ごしたい。「続きがたのしみやなぁ」と思いながら、眠りにつきたい。
どんな時も悲しみは忘れられないと思うけど、かついでいく。
雨も風もまだ強い。除夜の鐘、あの和尚さん、本当に鳴らせたんやろうか?カッパ着て鳴らしてる和尚さん、必死やろうなぁ。
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