湯豆腐

「なんや、湯豆腐か」


小学生の頃。

わたしは、じいちゃんが知り合いの人から貰ってきたキックボード一台を、弟と取り合いながら公園まで向かった。そのキックボードはフレームが緑色で、ハンドルグリップはゴム製で白色だった。前の持ち主がたくさん乗り込んだのだろう。そのグリップは泥や手垢でなのか拭いても黄ばみ続けていて、ハンドルやタイヤ周辺などカーブがかったフレームは、緑色の塗料が剥がれていた。足をおくデッキの部分は、白地に赤や黒色でアルファベットの何かが書かれていたようだが読みとれない。


「錆びとったけど、ヤスリで磨いたんや。触ってみ」
じいちゃんから言われて、緑色の塗料が剥がれた、くすんだグレーのフレームに触ってみる。触ると、錆がぽろぽろ落ちてくる遊具の端っことは違い、なめらかで、ひんやりとしていた。
「すご!ツルツル!」とつぶやくと、
「ニスも塗ったんや!」とじいちゃんは教えてくれる。



前の持ち主が使いこんできたキックボードで、1人は並走して公園まで向かう。

「ジャンケンで勝った方が、あの電信柱までな!」と決めるけれど、結局、電信柱で交代にはならない。
「おい!ちゃんと止まれや!」と叫びながら、田んぼ2枚分の距離を縦に真っ直ぐ進んで、右折。また2枚分を進む。
「あいさつは 子から 親から 近所から!! 「ごくろうさん」」
この地区の、端が錆びている看板がやっぱり視界に入る。そして、公園へ着く。


公園には、青色のペンキが剥がれて錆びてきているブランコや、回る遊具(グローブジャングルという名前らしい)、動物の乗り物(スプリング遊具という名前だった)、他に滑り台と鉄棒がある。あと、日に当たらず少し湿った、端に苔が生えてきている木のベンチもある。
そこは、平屋でトタン屋根の集会所が併設されている公園で、この地区の忘年会では、ばあちゃんは友達らと一緒に、ザ•ドリフターズの「いい湯だな」を踊った。「どんちゃん騒ぎ、やりたい放題やっとるわ」とわたしのお母さんや叔父は口々に言っていた。
春には、桜に囲まれる公園で、回る遊具や滑り台の上から桜の木に手を伸ばすことを何年もした。ギリギリ触れたのは高学年になってからだった。


わたしはその公園で、着てきたジャンパーを脱ぎ、鉄棒の端に落ちないように引っ掛ける。

学校でそれは血豆が出来るまで練習をしていた。長袖にジーンズで、少し前まで手のひらの皮がめくれて、手洗いも大変だったことも忘れて、「出来るんやから!ちょっと見といて!」と興味のない弟に、いばり叫びながら、鉄棒に飛び乗る。
へそあたりに鉄棒がくるように姿勢を保ったところから、その上半身よりも前に足を振り上げ、その反動で今度は背筋を伸ばしたままに上半身ごと前に倒すと、あの“前回り”ができるのだ。

学校と同じ気迫と真剣さで、前回りをする。
しかし、一回転したあとに勢いづき過ぎて、両手の力だけでは最初の姿勢を保てず。そのままもうあと半回転する。

想定外だ。足下に空、頭上に砂利の地面。お腹に冷えた鉄棒が食い込んできていて、勢いよく回ったからか摩擦でひりひりする。いつの間にか長袖の下に着ていた肌着までめくれあがっていた。学校で、体操服をお腹に入れて鉄棒をすることは、スポーツマンとしてのルールだと思っていたけれども、お腹の皮膚も守っていたのだと気がつく。

そしてそんなことよりも、地面に頭がぎりぎりつかなかったことに、結構危ないことをしてたんやなと思う。

学校では周りの目があるから、高学年しか使わない大の鉄棒一択だけれど、今日はわざわざ大中小の鉄棒から、小の鉄棒を選んだのだった。
「こんな小さいの使ってたんやなぁ」としみじみと思い、迂闊に手を出した。弟の手前、平静を装ったけれど、心臓はばくばくしていた。

今日はたまたま髪をくくってたからよかったけれど、髪が泥水まみれになった可能性もあった。逆上がりをする時には、鉄棒に手をかけて、腕の力と地面を蹴り飛ばした反動で足から鉄棒に乗り上げるから、鉄棒下の地面は水たまりになってる確率が高い。

自分の身体に合ってない、低すぎる鉄棒を選ぶことは想像以上に危ないことだ。頭を地面に打ちつけたり、季節柄、水捌けも悪いので、髪が泥水に一旦浸かることがありえます。


遊具に飽きて、動物の乗り物の側にだけ生えてまくっているクローバーの中から四葉を探す。
ここのクローバーはとても小ぶりで、一列一列じっと目を凝らす必要があるけれども、四葉がよく見つかる場所で気に入っている。同じ小学校の人たちが立ち寄る可能性がほぼない、ばあちゃんの家の近くのこの公園は、内緒にするべき場所だ。見つける度に、見せびらかす度に、誇りだった。

今日も難なく2つの四葉を見つけた後、もうええかなと思い、隣でゲームをしている弟に見つからないように、背後から気配を決しながら公園の入り口へと向かう。

キックボードを先に手に取り、そのまま逃げ切って、ばあちゃんの家へ戻りたい。大抵は見つかって、公園の入り口まで猛ダッシュをすることになる。



「もう夕方や。冬やから、あっという間に日ぃ暮れるで」

家の前でばあちゃんは、隣のおばちゃんと話をしていた。
「ただいま」「帰りました」とそれぞれに対して言う。


ばあちゃんは、黒のハイネックに、裏起毛のズボン、マスタード色で胸の中心に3本のチューリップ(赤、青、赤の3本)がプリントされたワッペンのついたエプロンを着て、その上から赤色のフリースを羽織って、つっかけを履いて出てきている。

植物に水をやっていたのだろうか。植物に水をあげる用の片手鍋を手に持ったまま、隣のおばちゃんと、「もう寒いから、そろそろ部屋の中に入れんとあかんなぁ」「もう冬眠やわ」などと、各々の育てた植物を眺めながら話をしている(隣のおばちゃんは、「いい湯だな」は踊らないタイプ)。


今日は土曜日。お父さんが仕事の人と飲みに行くからという理由で、わたしはお母さんと弟と一緒に、夜ごはんをばあちゃんの家で食べることになっていた。


家に入ると、
「はい!じゃあ、ちゃっちゃと上着脱いでー、ここにかけてー。奥でうがいと手洗いしてきてー」とばあちゃんに一気に促される。

玄関入ってすぐの空間にある厨房も洗面所がわりになるのだけれども、見つかったら怒られる。わたしは、奥にある、本来の用途を果たした風呂場隣の洗面所は、薄暗くて不気味な場所ですきではなかった。

家に入るなり、ゲームを再開しようと横になった弟をひっぱたいて、一緒に奥まで走って向かう。途中、部屋に光が入って来づらい(だから年中ひんやりとしている)場所を経由するのだけれども、そこの蛍光灯がなかなかつかなくて、気味悪くて、もどかしい。電気が点くか、点かないかチカチカしているところでそのまま突っ切って、洗面所へ行く。
どっちが先に手洗い•うがいをするのか、そしてどっちが電気を消すのかというところは争いになる。


一通りのことを終え、テレビのある茶の間で、見慣れた土曜日の番組を見ながら横になり、ごはんを待つ。

今日はカセットコンロを使うらしい。ばあちゃんがコンロの火がつくかどうかカチカチとつまみをひねって、お母さんと相談をしている。しばらくしていると、お腹が本格的に減ってきているのを感じ、寝転がっているのがしんどくなる。起き上がる。


「新聞ひく?」
テーブルに油が飛び散るからと、焼き肉の時には必ず新聞をひいているので、珍しく声をかけて手伝おうとする。でも、今日はひかないらしい。なんや、今日は焼き肉じゃないんやな。がっくり。。

がっくりしたまま茶の間に戻り、横にはならずに、頬杖をつきながらテレビをながめる。しばらくすると、ソースのようなガツンと食欲を刺激する匂いではなく、優しい匂いがこの茶の間までただよってくる。
さっきまで奥から入り込んでくるすきま風を、こたつに入っていても感じていたのだけれども、厨房前の大テーブルからいい匂いと共に、暖かい空気も送り込まれてきている気がする。カセットコンロの上にいつの間にか大きな土鍋が置かれていた。

ぼうっとテレビを見ている時、「ちょっと今、急に動かんといてや」と言ってきたが、それは奥の戸棚からばあちゃんが、大きい段ボールに入った土鍋を両手で運んでいたのだった。
「いい土鍋は重いし、保温がよう効く」とばあちゃんが言うそれは、ピンクと青色の花柄の鍋で、誰かに何かのお祝いで貰ったらしい。


「ちょっと一回、換気扇まわすなー」
お母さんがばあちゃんに言う。白い蒸気があがってきている鍋のある大テーブルの方へ、もう食べるつもりで、わたしは本格的に靴を踵を踏まずにしっかり履いて向かう。
「こたつちゃんと電源切っといてな!」とゲームに熱中していて、聞いてるのか聞いてないのか分からない返事をした弟に、繰り返し強めに言う。


ぐつぐつした鍋の中には、大きい昆布が2枚と、白い豆腐が入っているだけだった。

「なんや、湯豆腐か」

今日は、外で遊びまわってもう空腹真っ只中。この空腹ももはや2周目。小学生のわたしは、鍋でもなく、かみごたえのない茹でられた豆腐に分かりやすくがっかりした。


「今年初の土鍋やわ」
ばあちゃんは厨房で他のおかずを作りながら言う。確かに冬、最初に鍋を使って食べるものはというと、湯豆腐のような気がする。納得はしないが。


「はい、ごはん自分のええようによそって」「はい、じゃあこれにみんなの人数分、ポン酢入れて」次々と、厨房のばあちゃんからカウンター越しに司令が下る。

「はい、ここ湯呑み!一旦さっと洗ったから、拭きがあまいとこ、この布巾でちゃちゃっと拭いといて」
「はい、この濡れた台拭きでテーブル拭いといて!しっかりキャッチするんやで!投げるで!」台拭きが厨房から飛ばされる(想像より速くて、胸全体でぎり掴まえる)。

「はい、これ薬味ね。おのおの、好きなの入れときな」「ゆず、貰ったから刻んでみたで。こんだけしかないから、ちょっとずつ入れるんやで。えっ、ゆず嫌いなん?ねぎはめっちゃあるから」
など言われながら、ポン酢の入れた器に薬味を入れて、小皿を他の人にまわす。

この白ごはん、歯ごたえのない豆腐なんかで残さんと食べれるんかなとか思いながら、お腹が減りすぎて、すでに器に入れたポン酢を箸でつついて舐めている。そして今回はと、ゆずを一かけらだけ入れてみる。空腹過ぎて、今日はなぜか、食べれる気がしてくる。ゆずの皮も箸で続いて、ポン酢に馴染むように潰していく。舐めると、味が変わっている。


熱々の豆腐を網目のお玉で、四角い形の角が崩れんように、そおっと掬い上げる。豆腐に触れてから直ぐに持ち上げると崩れるので、深くお玉を沈めて、豆腐の下からゆっくり持ち上げて、器に入れる。

湯気が出ている豆腐が1つ、器に入った。その豆腐を箸で4頭分にして、そのうちの1つをまたそおっと口に運ぶ。箸を扱うのが不得意なのに、2本の棒で、柔らかい豆腐を落とさずに口に入れるのは、恐るおそる。

熱い!!

完全に噛み砕ききれないまま、口を開けてはふはふ湯気を逃しながら、時間をかけて噛んで、食べる。冷奴だったら、この同じ時間で2切れ食べれてたと思う。同じ豆腐の冷奴よりも、湯に浸かっただけなのにあまく感じる。
ポン酢につける時間が長すぎると、白い豆腐の底が濃い茶色になるので、早く食べなければならない。気をつけているけれども、そうなってしまった豆腐を食べることはよくある。その豆腐は塩辛くて、これ、ただのポン酢やんという気持ちになる。

いい土鍋は火を消しても保温されていて、熱い。そしてわたしは猫舌。口を開け閉めしながら、黙々と食べ進める。

空腹でも、ただの豆腐だけれども、2、3個食べたら満たされるのが湯豆腐のすごさだと思う。一つひとつの湯豆腐を、そおっと鍋から掬いあげ、そこからまた4頭分して、はふはふしながら噛み砕き、飲み込み、食道を経由して、胃にたどり着く。食べ続けているうちに、身体もいつの間にかほくほくあったまってくる。火の近くにいたからではなくて、熱い豆腐を身体に直接取りこんでいくことで、あたたまっている事実。カイロを貼って、全身があたたまるのを待つのとは違う、冬のはじまりには、湯豆腐の温まり方がわたしたちにはある。


ポン酢漬け湯豆腐にならないように、鍋から掬ってしまえば、豆腐を優先に食べ進めることになるので、やっぱり白ごはんは余った。ばあちゃんが、わーわー不満を言っていたわたしのためにと、ちゃんと肉を炒めたやつ(焼き肉のタレで味つけた)を出してくれた。ごはんがあっという間になくなった。


豆腐がなくなった鍋を見る。どれだけそおっと掬っても、豆腐の端が鍋の中をまわっている。

「昆布どうするん?」
「もうこれはええで」

それならと、箸でよいしょとデカい昆布を持ち上げて、滑って落ちないように直ぐに、昆布よりも小さい手元にある器に、ぼちゃんと入れる。そして、端の方をそっと器ごしにかじってみる。表面がぶよぶよにふやけていた。

「まずっ」
味はなにもしなかった。

「この中にええダシ出たからなぁ」
ばあちゃんは、そりゃそうやろという態度でこちらは見向きもせず、お玉で湯豆腐の残骸の鍋を混ぜていた。


「(掬えんから)もう、ええかな」と言い、湯豆腐は終了になる。


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