ブリの照り焼き

「なんや、魚か」


正月。
わたしたち家族は、毎年、じいちゃんとばあちゃんの住む家に行く。たいてい1月2日だったように思う。


「ほら今日、一歩もそこから動いてないやろ」
自分の部屋の片付けをしなさいと言われ続け、わかったわかったと返事しながら今日も夕方になってしまった。
「せめてカーテン開けて、換気してきたらどうなん」

リビングで今日一日、こたつに首まで潜ってゲームをしているわたしと弟を見ながら、母は、今日の大仕事は終えたからいったん休憩するわと言い、腰をおろす。そして、テレビを見ながらせんべいを食べ、その後横になって、気がついたら寝ている。年末。

そんなタイミングで、母の携帯に電話がかかってくる。ゲームをしているものの、わたしや弟の方が、寝ている母よりもその着信音にすぐさま気がつく。寝そべっていたこたつから飛び出して、ドタドタ足音をさせながら、われ先にとつかみに行く。取った。

二つ折りの携帯。そういやわたし、裸足やったわ。こたつから出るとヒーターはつけていても、フローリングの床は冷たい。こたつの中で汗ばんでいた足は、ドタドタと歩くたびに冷えていく。しもやけになった小指だけが腫れていて、まだ赤い。

携帯を開かずとも電話をかけてきたのがばあちゃんだと、わたしが勝手に設定したお知らせランプの色ですぐに気がつく。表示名は、やっぱり“ばあちゃん”。

「なあなあ!お母さん!ばあちゃんから電話やで!ばあちゃんから電話!」足踏みして、母の肩をたたいて起こし、電話をうけるボタンを押して、寝そべったままの母の耳元へ持っていく。

母は、寝ぼけた顔からすぐにしゃきっとした顔になり、携帯の表示画面で誰からかかってきたのかをいったん確認する。そして、よいしょと身体を起こし、再び耳元に携帯を持っていく。

「寝とったんけ?」
「今日から仕事やすみやから、洗濯機2回も回したわ。浴室乾燥、一日中しとるけど、全然乾かんわ。今日は除湿機もフル稼働やわ」
母が、なぜ今寝ていたのかをばあちゃんに、説明している。

「うちの家は、お日さん結構当たるから、一日外へ干しといたらまあまあ乾くけどなぁ。洗濯物、多い家は大変やなぁ」
「浴室乾燥はきらいやわ。においつくやろ」
ばあちゃんは大体そんなことを言っているのだろう。

長々と話した後、電話越しに本題に入っているのが分かる。母の弟(以下、おっちゃん)が、年末年始の休みを利用して、もうすぐ帰ってくるのだ。


年末に入る、直近の土日。
普段わたしたちは、土日のうち必ずどちらかは、ばあちゃんの家に当たり前のように行くのだけれども、年末前の土日は、ばあちゃんの家には行けない。
なぜかと言うと、年末はいろいろと忙しいからだ。
スーパーへ行った帰り、ついでに「これ買って、持って行こう(そして、食べてからだらだらしようの意味も含む)」と言ってみるけれど、「いや、あかん。真っ直ぐ帰るで。もうすぐお父さん帰ってくるやろ」と母に断られるのだった。


結局、こたつでゴロゴロしているだけで一日が過ぎていくのを繰り返していた。

朝起きる。裸足で2階の自分の部屋を出て、階段を下りる前に、窓から外を確認する。一面がぱあっと白くて明るく、普段の窓から入ってくる光よりもその総量は多くて、まぶしい。

裏の山の木々と道を挟んでその斜め奥にある寺。細く弱った木々たちと、ひと気のない静かな寺の間の道は急な坂道になっていて、そこを上がると墓地がある。雪はいつの間にこんなにも降って、積もったのだろうか。

桜の木を切ってから、特別気に留めることがなくなった痩せ細った竹藪も、カーテンのついてない2階の窓から、目を凝らしてしまうといつでも見える墓地も、全て白い雪で覆い尽くされてしまったようだ。そこは一様に、白く発光していた。

風が吹き、細かい枝にこんもりとのっていた雪が落ちる。遠目で見ると柔らかそうだが、雪は近づいて触ってみると硬いことを、知っている。素手で一掴みすると、雪の粒は砂利のようで、指のささくれが痛む。白というよりも、近づくと、手元で青白く光っているのが雪だ。

夜に雪おこしの音を聞いたけれども、雪はこんなに静かに降り積もるのかと毎年思う。

寝ている夜に積もり、朝起きた今は、雪は降っていない。昼ごはんを食べて、時計は2時をまわる頃。こたつで横になってゲームをしていると、裏山の竹と竹の間から、鋭い光がさしてくる。その後しばらくして、トイレ行こ!ゲームのデータいったん保存しよ!と思って立ち上がる。

トイレから戻る時、ふと外を見ると、そのような光はなく、この部屋も薄暗くなってきている。
こたつ机に昼ごはん後から置きっぱなしになっている急須のお茶は、とうに冷め切っていた。喉が乾いて、しょうがなく注ぐと、湯呑みに普段は入ることのない、大きめの茶葉が入ってくる。口に入らないように飲んで、再び横になってゲームをする。次、外を見た時にはもう夕暮れ時も過ぎていて、竹藪が暗闇にあるだけ。墓を見ないように、率先してカーテンを閉める。

そんなことを繰り返しながら、一日は過ぎていった。


正月。
1月2日。
予定通り、じいちゃんとばあちゃんの家に行く。

約束の時間にはなってないけれども、じいちゃんから「まだか?」という催促の電話があったり、「もうおっちゃん、準備できて待っとるって」というばあちゃんからの電話があったりする。

「今日はいつもとは違うんやで」「人を待たせてるんやで」
と母に尻を叩かれるように支度をし、その勢いで車に乗り込む。ジャンパーは手に持ったまま。

ばあちゃんの家に着く。
新年の挨拶を母に促されてから行い、おっちゃんと「まいど」と言い合う。

「あんたら、もー全然来んから!じいさん、朝からいったり来たり、忙しなかったで。痺れ切らして、何回か電話してたやろ」
ばあちゃんは言う。
「大掃除は終わってないし、宿題も終わってないし、もう大変やったんやから!」
母はこちらを見ながら答える。弟はそんなことを気にもせず、へらへらしている。

「もう上は、おおかたセッティング済みやし、あんたらの到着待ちやったんやで。はい!じゃあ、上着こんなとこに置かんとちゃんとかけて、うがいして、手ぇ洗って、2階あがり!ジュースも冷やしとるけど、ごはんの時はお茶でええんかな?」
ばあちゃんは言う。

わたしたちの返答を待たずに、「お茶にするよな」とこちらを見ながら母は言う。
わたしと弟はお父さんに見守られながら、ジャンパーをかけるのはめんどくさいわとたたんで部屋の隅に置き、手洗いうがいをして、薄暗くて冷え切っている急な階段をかけ上り、2階の座敷へ行く。


部屋の扉を開けると、普段は隅に追いやられている大テーブルがどんと、部屋の真ん中にあった。灯油のストーブも2階へ移動されていて、すでに部屋は暖まっていた。

「もうお寿司、干からびてしまうで」ばあちゃんは言う。仏壇には灯りがともっていた。

「ほんならとりあえず、乾杯だけしよ!ほんでもう食べはじめといて」
ばあちゃんは言う。乾杯の時だけ、2リットルのペットボトルのオレンジジュースを入れてもらえた。炭酸は、お腹が張るからあかんと母に止められて、じいちゃんだけ自分でスプライトを入れていた。

普段の、ひんやりとした木のタンスや線香のにおいはしなかった。テーブルには、寿司と刺身、正月のおせち、オードブルの揚げ物が並べられていた。各々の席には座布団が敷かれていて、割り箸も、食べ物を入れるお皿も大と小と並べられていた。

「もう待ちくたびれて、開けてるで」ばあちゃんの席の側には、すでに缶ビールが開けたまま置いてあった。
「お父さんは、今持って上がってきたビール飲みなよ!」と言い、瓶ビールの栓を抜き、ばあちゃんは父にお酌をする。
「おっとっとっと!」グラスに、勢いよく注がれたビールを、父は溢れる前に少しすする。
ばあちゃんが音頭を取り、乾杯をする。

「やっぱし、のどごしがちゃいますわ」父が言う。
普段とは違う種類のビールだからなのか、キンキンに冷えているからなのか、缶ではなく瓶だからなのか、空腹だからなのか、とにかく今日のビールは美味しいらしい。

父もお酌をしようとして、ばあちゃんはグラスに残っていたビールを「もうぬるいわ」と言いながら飲み干し、
「ちょっとでええで!」と言いながら、並々注がれたビールを飲み始める。

一連の流れを見ていると、
「ちょっとだけ飲んでみるか?」とばあちゃんに言われる。「あかんで!」と母に止められながら、恐るおそる口につけた泡は、やっぱり苦かった。なんでそんなに美味しいと思うんやろなぁ。


「今日はまだまだあるで!じゃあ、みんな思い思いに食べときな」
と言い、ばあちゃんは再び席を立ち、1階へおりる。
しばらくしてから、甘そうでかつ、香ばしいにおいがした大きなお盆が運ばれてきた。


「はいこれ、あんたらのね」
四角い皿がわたしと弟のもとにひと皿ずつ、運ばれてきた。茶色い、甘そうなタレがかかっているかたまり。それは蛍光灯の光に照らされて、つやつやと光っていた。その側には、旅館の食事で見かけたことがある、ピンク色に染まったネギの小さいやつが添えてあった(“はじかみ生姜”というものらしい)。

「青みなかったわ。大葉とか付け合わせにと思っとったんやけど、買い忘れたわ」

「ブリの照り焼きやで」
肉かと思ったけれども、魚だった。少しがっかりした。酸っぱいネギも嫌いなので、弟の皿にすぐに入れた。


「なんや魚か」
わたしが言うと、
「あほやなぁ!ブリ照りの美味しさを知らんのか」と母に言われる。
「くれ!」とその側から父は言ってくる。

人にあげるのは嫌やと思って、食べてみる。

身は箸を入れるとほろほろと、焼き魚をむしって食べる時にはないような丁度いいかたまりに分かれてくれた。内側の身は白い。その身は口に入れると、みずみずしい魚の水分なのかほくほくとしていて、でもしっかり噛んで味わうことが出来た。サラダ油をひいて焼いて食べるウインナーのようなテカテカとしたまとわりつく感じの油ではなく、噛めば噛むほど、ブリのうまみのようなものが出てくるような気がする。めっちゃ美味しい。
「この時期のブリ、身ぃしまってるやろ」ばあちゃんは言う。

今度は、テカっとした茶色いタレが、魚の表面についている部分を重点的に選んで食べる。ブリを噛んだ時のふわっとした水分と共に、焦げてはないタレの甘みと醤油の辛さがガツンと一気に口に広がる。一口口に入れるだけで、その後すぐごはんを口にかき込んだ。
「昨日から漬けといたから、よう味、しゅんどると思うで」ばあちゃんは言う。そうやな、そう思う。めちゃくちゃ味がしっかりしている。魚やけど、肉みたい。

さっきまで、寿司を食べていたことも忘れたかのように、お茶碗に再びごはんをよそって、本腰を入れて、食べる。これをブリ照り単体で、ただ口で食べるのはもったいない!と思う。

骨も細かいものをピンセットで大体取っておいてくれたので、焼きガレイみたいに、骨刺さらんかなぁとか気にしすぎることもなく、夢中になって食べることができた。


「ちょっとこれ、焦げてしもたわ」ばあちゃんはそう言って、自分の席にその焦げたブリの照り焼きを置いた。
「うわ、そんなん最高やん」弟は気がついたら皿にのっていた1匹を食べ終えていて、残ったタレを白ごはんにかけて食べている。それを見て、母は言った。
そして「あんたらまでひとり1匹とか、ほんまに贅沢やわ」とも言った。わたしも一丁前に食べているけれど、そう思った。


「はい、お父さんはこれね!」
ばあちゃんは父に渡す。
わたしたちと同じ四角い皿にのっているのは、赤いけれども、焼き目の入っている魚だった。頭はついていて、目の玉は白くなっている。側にはレモンと、この家の横手に生えている葉っぱ(ナンテンというもの)が添えられていた。尻尾には塩がたくさんついていて、やや焦げている。

それはグジの塩焼きだった。グジとは、甘鯛のことで、都会では、高級魚と呼ばれているらしかった。


「いや、ぜったいこっちのほうがええやん」
わたしはブリの照り焼きでよかったと思った。初めて食べたブリ照りは衝撃だった。肉じゃないけれども、こんなに美味しいものがあるのかと思った。照り焼きチキン、照り焼きバーガーなど、“照り焼き”ってなんなん?と思っていたが、今までよりも一層、“照り焼き”というものが好きになった。

ブリ照りを食べ終えた後、弟のようにごはんにはかけるほどタレは残ってなかったけれど、箸で懸命によせて、その箸先をなめたり、それでもしっかり集まらなかったので、皿をなめたりした。母に見つかったが呆れた顔をしただけで、なにも言われなかった。


わたしは普段から、父が魚の塩焼きを食べる時、絞った後のレモンの実を歯でかじることや、尻尾の少し苦い、かたまった塩を削りとって、口に入れるのがすきだ。だから今回も、それだけはさせてもらった。

「京都の料亭で食べたら、これ1匹、1,500円はするやろうなぁ」
おっちゃんが、魚を食べた後に言う。大人たちはみんなうなずいている。



翌日。
昨日の晩、たらふく食べた後、残った食べ物をタッパーに入れて持ち帰らせてもらった。次の日昼が過ぎてから、用事をしに外へ出て、再びばあちゃんの家にその容器を返すために寄る。

「おいしかったです。ごちそうさまでした」「もう宿題せなあかんで。日がないで」母はばあちゃんに話しながら、わたしたちに向かって言う。


そして、
「あまやかされてるわ」
母は、茶色いタレにまみれているプラスチックのパックを見つけて、言った。

そこには、ブリの照り焼きがあった。もうないでと聞かされていた、あのブリ照りがもう1匹だけ残っていたのだった。

おっちゃんがもう帰るらしい。だからブリの照り焼きを持たせてもらっているということだった。もうひとパックには、白ごはんがみちみちに詰まっていて、ごはん粒が少しだけはみ出ていた。


「ほんまにあまいんやから」
母は言う。
「持って帰るって言ったから」
ばあちゃんはそれだけ答える。


わたしにも弟がいる。
わたしも、わたしよりも弟に、母はあまいんじゃないかと思うことがよくあった。
同じように母も、自分の弟と自分自身を比べてみて、母の態度で同じように感じていることがあるのだとそこで知った。
そういうもんなのかと思った。

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