「これ飲んだらええんや」
小学生の頃に、“酔う”という感覚を知った。
特に、高学年になってからだと思う。
わたしの家の近くには、スーパーはない。
家の前、坂道の傾斜を利用して、全力でかけ下りて、コンクリートに書かれた消えかけの“とまれ”を見送りながら、左折する。
「走るから」という理由で、底が平べったいスニーカーではなく、足の形に沿って足の甲や土踏まずなどが部分的にキュッと絞られていて、なおかつ軽い運動靴を履く。
運動靴、玄関でみると泥々やん。校庭は水はけが悪いから、トラック一周、ぬかるんだ日陰側まで走るのは嫌なんやけどな。一学年、多くて15人の中での体育。負けず嫌いは、靴が泥だらけになろうが、ぬかるみに足を取られず、転ばずに、いかに速く走りきれるかが先決なのだ。
共に戦ってきた運動靴の紐をきつく結び直し、「やったるで!」と思いながら、ふうっと息をひと吐き。玄関から立ち上がる。
坂道を下りて左折し、公道に出てからも、その時の気持ちのままに、真っ直ぐ、走り続ける。左にややカーブした道、その先を見つめながら全力で走りきること約3分。一本の大木を過ぎると日焼けした赤い自販機があり、その隣に、この町唯一の個人商店がある。
家から全力疾走をしていると、途中でしんどくなって、商店が見えるか見えないかという頃に、大抵走るのを一旦やめて歩く。
目線を下に移すと、溝がある。今日は水、流れてないんやな。立ち止まってかがんで、息を整える。風邪は治ったはずなのに、咳き込む。喉に痰がつっかかる。今日の昼の分の薬、飲んだんやったっけ?
この距離をもし泳ぐとしたら、こんなにすぐにしんどくならんのになとも思う。
そんなこと考えながら、腰に手を当てて、息を整えながら歩くと、大体7分くらいで商店に着く。胸のあたりが息をすると痛い。
しかしながらこの町では、家から全力疾走をして、途中で歩きたくなったとしても、走り続けなければならない場面もある。
道路に面した家の玄関に椅子を出して、日向ぼっこをしている近所のひいばあちゃん(地蔵くらい動かん)や、鎌を持って畑の周りの手入れをしているじいちゃん(弟の友達のじいちゃんで、集団登校の集合場所の側の家。遅刻すると誰だとしても怒りがち)とばあちゃん(デコに菩薩みたいなイボある)、ドラム缶に刈った草を入れて、ついでにいろいろ燃やしている(煙たさがプラスチック)であろうじいちゃんに出くわすと、そのまま走り続けなければならない使命感が出てくる。
他には、ぜーはーいいながら、とぼとぼ歩いていたら、ランニングの白いシャツにスウェットの灰色のズボン、黒いつっかけで家の前でタバコを吸っているおっちゃん(お父さんの友だち。その格好で単車に乗って、集金とかに来たりもする)に出くわした時は、「もっときばって走れ!」と喝を入れられた。
出会う人が、みんな顔見知り、みんな知り合いな地元。わたしの町。
あたり一面の田んぼ、後ろには山、そして川が流れていて、無人島がぽこっと浮かぶ海に面したわたしの町では、商店が一つだけあった。
その店は入るとすぐ、カップに入ったみぞれの氷(いちご味)のにおいがなぜかする。
わたしはその店を、ひいばあちゃんが頼んでいる商品を受け取りに、付いて行く時にしか利用したことがない。その時には、みぞれのアイスやキャラクターの形になったオレンジ味のグミ、五円玉の形のしたチョコレートなどを買ってもらった。でも、賞味期限切れのときがあるので注意。その話を得意げにお母さんにするとヒェーッと悲鳴を上げ、その後に変な沈黙が続く。テレビ番組で、ジョン・レノンのイマジンの替え歌を歌っていた人がいて、わたしの学校でも人気があった。家でわたしが弟と一緒に作った、その店の商品のことを歌った替え歌が存在する。
ゲームをしていていいタイミングに、選挙の立候補者が家のインターホンを鳴らしたことがあった。親が仕事で留守で、渋々出ると、その人が大声で話し出したかと思ったら、その後に、力強めの握手をさせられる。ゲームを中断させられて、勝手に話すだけ話して帰っていったことにムカついた。さっきまでのゲームの熱が急に冷めて、一旦ジュースを買いに出るかと商店の隣の自販機まで行った。ついでに店の前の溝に、さっきの人が渡してきたビラを流したことがある。マジックで落書きしたあのおっさんの顔が、ゆっくりと流れていくのは、おもしろかった。
そんな感じの人口の少ない町なので、生活必需品を買う時には、親の車に乗って、海に沿って国道を真っ直ぐ走り、トンネルを3つ越えたところにあるスーパーまで20分くらいかけて行く。習いごとの時にも同様で、そもそも日々通う中学、高校も乗り物が必要不可欠な町だった。
小学校高学年のころ、車に乗っている時に、胸のあたりがむかむかとする感覚が出てきた。胃腸風邪の時によくある症状のようで、そうなってもスーパーに着いてからお母さんと一緒に買い物をしていると、気がついたら治っていた。
ある日、風邪をひき、胸のあたりの気持ち悪い感覚が普段よりも拍車をかけて重く感じた時があった。やっぱりわたし、なんかの病気なんかな?と深刻にお母さんに告げ、いつもの病院へ連れて行ってもらったことがあった。
いざ先生を前にして、「胸のこのあたりが変で、息をするとなんか変です」などと、症状を伝える。言葉でうまく症状を言えたのかわからない消化不良みたいな状態のままに、「これは、乗り物酔いですね」と先生に告げられた。先生は、こんなの大したことないですわというような表情と口調で、あっけらかんとしていた。
こんなにわたし、しんどいのにうそやろと思ったが、その日受付で貰った薬は本当に、“酔い止め薬”だった。薬の説明書には、乗り物に乗る30分前に服用してくださいと記載されていた。酔うのって、お酒飲まんくてもなるもんなんやなとそこで知った。風邪の辛さもあり、酔いがなかなかさめない中だったが、少しだけクラスの人の顔が思い浮かび、優越感があった。
「そんなん言われても車めっちゃ乗るんやし、薬飲んでもキリないやん!」先生の前で猫をかぶってうまく言えなかったことを、病院を後にして、その近くにあるばあちゃんの家で寝そべりながら言う。こんなにしんどいのに!なんでなん!間違っとるんちゃうん?
お母さんは、「まあ、酔わん姿勢でおることやな」とか「じきに治るわ」と言う。
そんなこと言われても、今までこんなに気持ち悪くなったことなかったし、ここ1週間、ほんまにしんどかったんやから!!などと訴える。
わたしが怒っているときは、じいちゃんもばあちゃんも黙って、静観している。特にばあちゃんは、こちらを見ることなく、助けることなく自分のペースで、朝読んでいた新聞の続きをコーヒー片手に読んでいたり、無造作に転がしていたちゃぶ台の上のメガネを手繰り寄せてかけ、テレビのチャンネルを変えていたりする。この時は、洗い物をしていた。じいちゃんは、たまに口をはさんできたりしたが、大抵は行ったり来たりして、急に「よわった。よわった。豆球の替え、なかったんやったわ」とか呟きながら、その場からいなくなることが多い。
この時は、じいちゃんがそっと、わたしのマグカップを手渡してきた。
「これ飲んだらええんや」
じいちゃんがわたしに渡してきたのは、梅干しの入ったお湯だった。
わたしの家は、ばあちゃんの漬ける梅干しを貰っていて、なくなればまた貰うを繰り返している。けれども、“丸ごとの梅干しが入ったお湯”という見たことがない状態に、戸惑った。これ絶対、めっちゃ酸っぱいやん。
梅干しは買うものではないという認識だったが、一時期、はちみつに浸かった少し甘い、“はちみつ梅”に家族でハマったことがあった。そのすこし安い版の、“はちみつ梅(潰れ梅)”のパックを隣り町まで買いに行っていたことがあった。ばあちゃんの家にもと、一パック、これお土産やでと自信満々に渡したのだが、「えー、これは美味しくないやろ」と、ばあちゃんは貰ったその時点で喜んでいなかった。
「ちょっとは喜んだ素ぶりしてもええのに」お母さんはばあちゃんに言う。
その後の週末の昼ごはんの時、ばあちゃんの家の冷蔵庫から、あの時渡した、はちみつ梅のパックが出てくる。少し期待していたけれど、やっぱり全然減っていなかった。
「一つ食べたんやけど、やっぱりあかんかったわ。じいさんも」と、ばあちゃんは言う。
それからわたしたちが行ってごはんを食べる時に、少しずつ消費していったのだった。わたしの家では一パック、戦争のようにもうなくなってしまったのに。当分はこの家に来れば、またはちみつ梅が食べられる。
潰れ梅と言えども、はちみつに漬けられていて、赤というよりもやや黄色味がかった色のはちみつ梅は、ひと口かじると実がたぷたぷしていて、肉厚だった。その梅は、かじってからタネに辿りつくまでのその数秒が、果物のようにゆっくりだった。そもそも、“梅干し”とは言っておらず、“梅”であり、“漬物”でなく“果物”だと思っている。実にジューシー。調子に乗ってはちみつ梅を、一食の中で、弟の目を盗んでこっそり2個目を食べたりすると、その後、喉が渇いてしょうがなかったりした(タネの数で、食べた個数は隠していてもなんやかんやで、バレるのだが)。
ばあちゃんの漬けた、酸っぱいに決まっている“梅干し”。それを、いつも半分食べるかどうかなのに、まるまる一個も入ったコップを渡される。
ほんまにこれ、飲めるん?じいちゃんがこれを飲んどるところ、今まで一回も見たことないんやけど。しかもお湯やん。味せんやん。飲んだ時のイメージがわかず、でも断ったらじいちゃんも傷つくよなとか思ったりもして、「なんなんこれ?」とお母さんに聞いてみる。お母さんも一瞬えっ、と戸惑っていた。えっ、お母さん、ここの家の人やろ。飲んだことないんけ?
「これ飲んだら、すぐ治る」
とじいちゃんに、そっと渡されたもの。それは“うめ茶”というものだった。
わたしもお母さんもどうしていいか分からないようになっている中、洗い物をしているばあちゃんが、ああ、そういうのあったなーと思い出したかのように、「それ、酔ったときに効くやつやわ」と、付け加えてくる。
そんなことを聞きながらも、どう飲めばいいのか分からず、マグカップの梅干しを覗き込んでいた。そうしていると、再び、じいちゃんからフォークを手渡された。
「梅干しを刺して、潰してから飲むんや」と言う。
まだ半信半疑の中で、とりあえず潰していくことにする。カツン、カツッと、はちみつ梅よりも皺が多く、肉の少ない梅干し目がけて、何度か刺し込んでいたら、すぐにフォークで捕らえることができた。カツン、カツッ、コッ、コッと、かたいタネの感触と、コップとフォークの音ばかりする。
しばらくしていたら、「もう、そろそろええわ。飲んでみ」とじいちゃんに促される。恐る恐る、口につける。
味はダイレクトに、梅干しを漬けている壺の底の方に入っている汁を、直接口に流し込むようなことになるのだろうかと思っていた。もしくは、薄く紅く染まった色からして、梅干しの酸っぱさよりもお湯が勝って、ただただ水くさい出がらし状態のお茶みたいな、何にも感じない、大したことがない味なのだと思っていた。
実際には、梅干しの酸っぱさというか塩辛さが受け付けられないということはなく、お湯によって“ザ・梅干しの味”がマイルドになり、さっぱりとした塩気のある梅干し湯だった。
加えて、お湯って、全く味せんのじゃなくて、なんか甘いんやなと、お湯の美味しさにも気がついた。さらに、はちみつ梅のような、梅本来の風味も側に感じられた。
ばあちゃんが梅干しを作る過程で、梅を外でござに並べて天日干しを行っていたけれども、その時の、まだ梅干しの汁に漬けられる前の梅の、プラムのような果物のにおいも感じた(プラムみたいなんかな?と思ってこっそり食べたら、ただただ塩っ辛くて、痛い目にあったことがある)。
じいちゃんの視線を背後に感じつつ、半信半疑のままに口につけてから、美味しくて、ごくごくと最後まで飲んだ。時おり、フォークで梅干しを潰しながら。
最後、梅干しは、口に入れて、果肉を全て食べ尽くした。そして、しばらくは口の中でタネを転がしていたりもした。
食べ物を食べたいと思うことがなく、胸がつっかえるような、むかむかした気持ち悪さが、温かいうめ茶を身体に入れていく中で、時間をかけて消えてなくなっていった。
「“うめ茶”って言うけど、これ、お茶っ葉入れてないし、“うめ湯”なんちゃうん?」と聞くが、そこに対しては、じいちゃんも、ばあちゃんも、何も答えてくれなかった。
耐えられない程しんどいという車酔いの時期は、年月を重ねる中で過ぎていった。
小学校、高学年。車の移動に日々、うんざりしていた。近くに気軽にいろいろなものがあって欲しいと、田舎さをうらんだ。車に乗ってトンネルを3つ越えて用事をしに行く中で、寄る必要のない日にも無理を言って、駆け込んだ。
「うめ茶!うめ茶作って!」急に来たかと思うと、開口一番、うめ茶を頼む孫。早く飲みたいのだと必死に、カツカツ潰して飲んだうめ茶。じいちゃんとばあちゃんの家の存在には、あの時期、とても助けてもらった。
「郵便局も学校も近いし、この立地、最高やろ」ばあちゃんは言う。
「チャイム鳴ってから、家出ても間に合ったわ。ホームルームで返事だけ、誰かに頼んどけばええんやで。あんたらは大変やなあ」お母さんは言う。
“しんどいときに飲むもの”という立ち位置で、普段から好んで飲むことはなかったうめ茶だったが、お酒を飲みはじめた頃、二日酔いになった時に、はっ!と思い出して、このうめ茶は活躍した。一緒に宅飲みした友達にも勧めたが、1人だけ真似をしてくれた人がいた。
“うめ茶”は、梅干しとお湯でできている。
ばあちゃんの家には、“うめ昆布茶”もあった。
弟が中学生の頃。彼女を連れて、ばあちゃんの家に寄ったことがあったらしい。その時に、「はい、よろこぶちゃ!」と言われて、ばあちゃんに出されたのが、うめ昆布茶だったと聞いている。
うめ昆布茶は、冬にこたつに入りながら、熱々を、なみなみ入れすぎたわと後悔しながら、湯呑みの端の方を持ったり離したりを繰り返しながら、しまいには机に置いたままにして、口だけつけたまますすって飲みたくなる飲み物だ。舌がやけどするので、注意が必要。
みかんを食べたあと、ようかんを食べたあとに、締めで飲んで欲しい。甘くて、冷たいものを食べた後に、少し塩気のあるうめ昆布茶でほっと温まりたい。
ピンク色の、梅の粉末がたくさん入っていると、その日はラッキーです。
「みてみて!茶柱立っとるで!」
「こらっ!揺らすな!茶柱倒れるやろ!」
みたいな効力があります。
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