はじめに

「ばあちゃん、あんたの花嫁道具に中華鍋、用意してくれとったんやで。」



わたしが20歳の時、祖母が亡くなりました。そして、わたしが27歳の時、祖父が亡くなりました。それから一年も経たないうちに、祖父母の家の取り壊しが決まりました。27歳のわたしは叔父に許可をもらい、母と一緒に形見分けとして、その家にある物をもらいにいきました。


出かける時でさえ、勝手口の誰でも見える柱に鍵を引っ掛けて、外出していた家でした。
「鍵、あんなとこ引っ掛けといたらバレるんちゃうん?」わたしが聞くと、
「取るもんないわ。むしろ、誰かがなんか置いてってくれるわ」とばあちゃんはよく言っていました。
確かに、じいちゃんのベージュのワゴンRに、一緒にばあちゃんと乗って買い物から帰ってくると、大根や漬物、時おり缶ビール二箱とかが机の真ん中に置いてありました。

「年中この家、クリスマスやん。サンタ来とるやん」とわたしが言うと、ばあちゃんは聞いているのかどうか分からない生返事をしながら、誰がそれをくれたのかを最近の出来事を、声に出して手繰り寄せ始めています。最終的に、首をかしげながら受話器を持って、電話をかけて答え合わせ。正解することも、振り出しに戻ることもありました。


祖父母が亡くなってからは、家の鍵はもう柱にはかけておらず、今回、叔父から借りてきました。鍵を開けて、母と一緒に入りました。

部屋は、こんなひんやりしとったっけ?という程に冷えており、床はこんな色やったっけ?という程に埃に塗れていました。そして驚くほどに静かでした。母の実家で、ばあちゃんが日々せっせと掃除している、いつの間にか閉店したその食堂兼、じいちゃんとばあちゃんの家は、人が生活しているからこそ生きていたのだと気がつきました。

厨房の換気扇のすぐ側の柱にかけられた日めくりカレンダー、いつから変えてないんや?というか、なんでこの部屋繋がっとんのに、3箇所にカレンダーつけてるん?と急に思いました。今まで聞くタイミング、あったやろ。

持ってきたカバンを重いからと、今まで同様、どんと勢いよく置くことを躊躇してしまう自分が嫌でした。普段、気配を感じたことがないカウンターにまで、どこまでも薄っすらと埃が積もっていました。何度も、時間が止まっているなぁと感じました。覇気もなく、冷んやりと、ただただ静かな場所になっていました。

その場所でわたしは、家の倉庫から持参した、大きめの段ボール箱3箱、目一杯に物を詰めようとし始めました。しかしわたしにとって、その場所は、インフルエンザの隔離期間を除いて、ほぼ毎週末を過ごしたところです。なにを段ボールに詰めるのか?という判断は、とても難しいものでした。


これからわたしが使う、使わないという観点ではない。
360°どこを見渡しても、その空間、そこで目に入るもの、ふと手に取る物、そのなにもかもに思い出がこべりついている。すぐに「はい、次の物〜!」と、いくことができない。
思い出しては手がとまっていました。


この家は、土足のまま玄関を入ると、まず食堂があります。そして右手に、表面はオレンジ、側面がブラックのカウンターが付いていて、その奥に厨房があります。床は小豆色のコンクリートになっています。食堂から段差を一段上ると、茶の間があります。食堂と茶の間は、1枚の白いレースのカーテンで仕切られているだけでした。

祖父母やわたしたち家族は、いつも玄関から食堂を経由し、靴を脱いで、茶の間へ上がりました。そして、そこから奥の洗面所や風呂場、2階の寝床へと移動します。
食堂から茶の間へ上る入り口には、べこべことへこんでいる箇所があります。わたしが茶の間で、図書館で借りた『名探偵コナン』や『タッチ』を寝転がって読んでいる時、「よっこらせと」「よっ!と」「おいしょ!」などと言いながら、そのへこみをまた踏み込んで、大人たちが用事をこなしに奥へ入っていきました。

その茶の間の、ある一面には、天井まで届く食器棚がありました。加えて、6畳もないその空間に、正方形のちゃぶ台と、使いこなせない多機能の大型テレビもありました。わたしはその机で、母が迎えに来るまで学校の宿題をしたり、じいちゃんと煎餅をかじりつつ、緑茶を飲みながら相撲を見たりもしました。またその机の側で、ばあちゃんとワイドショーを見ながら、昼寝をしたりもしました。弟はその机の死角でよくゲームをしていました。
その部屋は土壁で、窓が側になく、焦茶色の柱と天井で、とても薄暗かったです。


時間が止まったこの空間。わたしは今、もう過ごすことがない、もう無くなってしまうこの空間で、まじまじと見渡しながら、物を手に取っている。

お盆に数珠、老眼鏡。塗るタイプの湿布。除光液。ばあちゃんのハンドバッグ。国語辞典。鏡。電卓。車屋のメモ帳。広告裏紙のメモ用紙。神棚。十二支の置物。子どもの命名カード。植物図鑑。皇居の本。

一つひとつ、わたしがそれを使っていなくても、思い出すことが溢れ出てきた。わたしはたいへん長い時間をここで過ごしてきたのだなぁと、その時、それまでの時間の重みを感じたのでした。


最終的に、わたしがもらったものの大半を占めたのは、“器”になりました。器を見ると、ばあちゃんのごはんやその時の記憶をたくさん思い出したからです。

なるべくその部屋の空間ごと忘れたくないと思い、器をカウンターで一枚ずつ撮影してから、段ボールに詰めていきました。
「料理もせんのに、こんなにもらって」と、母は呆れていて、1時間ほどで強制終了させられました。


器をもらってから1年がたちました。
現時点のわたしは、目標もなく、5年後、10年後など、今後のイメージが全く沸かない中で、ひとまずは、ばあちゃん達とのごはんとその思い出を糧にして、生きていきたいと思っているのだと思いました。

秋だと聞いていた家の取り壊しは遅くなり、その冬に行われました。わたしはその後、母に有無を言わさず強行突破で2度、その家に行きました。今住んでいる場所から高速道路を使って往復7時間。冬は道路事情の心配から新幹線を使うと、その倍のお金も時間もかかりました。最後は、行きたいけれども疲れが勝って断念しました。



「ばあちゃん、あんたの花嫁道具に中華鍋、用意してくれとったんやで。」

家が取り壊されてから、中華鍋の話を母から聞きました。わたしは、なんでその場で言ってくれんかったんや!と怒りました。
「そもそも、もらっとったとしてもどうするん?使われへんやろ?」と母は言いました。

わたしは物をもらいに行った日、厨房の鍋が入っている扉すら、開けませんでした。母の言う通り、ちゃんと料理をしていないから、思いつくこともなかったのかなと思いました。

でも結婚をしていたら、無事に中華鍋は、ばあちゃんからわたしに渡されていたんだろうなとも思いました。料理をする、しないなどと何にせよ、ばあちゃんが用意してくれた中華鍋を、無下にすることはなかったのかと思ってしまった。


家が壊されてから、今年で2年になります。手に入らなかった中華鍋のことについて、もう一度考えると、最後まで、ばあちゃんの家の厨房は、ばあちゃん以外、誰にも触らせなかったのではないかと考えました。

でもやっぱり、わたしは、誰かが結婚したと聞くとき、退職したいのに結婚する人を優先されたとき、中華鍋のことをぼんやりと思い出します。

ばあちゃんの、“料理せよ”という重みに耐えられなくなっていたかもしれない。「外でも中でもなんでこんなに!わたしばっかりせなあかんの!」と無償の家事、やって当然という考え方に怒り狂っていたかもしれない。けれど、それでもわたしは一旦、その中華鍋を受け取りたかった。



先日、西加奈子氏の小説『サラバ!』を読み終えました。最後は、息を止めながら目を見開き、閉店時間が迫るチェーンの喫茶店でページをひたすらめくり続けた気がします。その中で、「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」「あなたも信じるものを見つけなさい。あなただけが信じられるものを。ほかの誰かと比べてはだめ」という言葉が出てきました。

この本を読んでから、わたしが信じるものは何だろうか?と改めて考え始めています。「大丈夫だ」と思いながら、周りの情報に、あっけなく揺れ動いてしまうわたしは、何を信じるのだろうか?

実家を出て、今、わたしの住んでいるアパートの部屋には、祖父母の家からもらってきたままの、埃を被った段ボールが部屋の片隅に置きっぱなしになっています。

祖父母の家が壊されたこと。器をもらったこと。中華鍋をもらえなかったこと。そして、小説を読み終えたこと。わたしは、このタイミングで、まだ整理できていない器をとりまく記憶について書いていこうと思っています。

数ある物から、器を選び、持ち帰ったときの気持ちを思い出す。その上で、器の記憶を書いて形にする。日々の、しなければいけないことに溺れがちなわたしが、この企画を通して、わたしが信じられることを思い出し、再確認し、生きていくための支えになればと思います。まわりまわって、読んでくださるあなたにも、ちょっとした何かを思い出すきっかけになれば幸いです。

「書くときは誰でも一人だ」ということも小説の『サラバ!』が教えてくれました。
「書くとき、誰もが一人で向き合っている」ということは、切実なエネルギーを誰もが持っているということだと思いました。みんな、何かを秘めている。そして、そこから「生み出されたものがある」という事実は、とても尊く、心強いとも思いました。

大勢の中に入ったり、そこから出て一人になったりしながら、静かに、正直に、わたしも書いていきたいと思います。それぞれの人がいる中での、わたしだから。


書くために、自分の生活を整えていこう。そしてフラットな精神状態で、祖父母がいた頃のことを思い出して、書いていく。その時間を積み重ねて、自分の信じるものを今よりも確かな感触で、手元に置いておきたい。

仕事も私生活でも、同世代の人の動きに焦ることが増えてきたけれども、わたしはわたしでしかない。だから、あの頃の時間を書いて、信じるものを明確にして、手元に置いておきたい。


この地点。
今、わたしがいるこの地点に、旗をたてておく。

2023.6.4

と、その周辺に纏わり付くモノたちへ

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