「雪降ってなかった?」
家を飛び出したときは、車のガラスに白いものがちらちら落ちてきてるように見えたけど、電車を逃したくないわたしにはそんなことはどうでもよかった。
朝、何度もスマホのアラームをとめた上に、かれこれもうベッドから起き上がれずに一時間ほどたっていることに気がつく。前日から起きれないことがあり得るだろうと、目的地に着いてからの時計見ずに過ごせるだけの充分な活動時間を逆算し、出発時刻のデッドラインを決めており、何パターンか電車の出発時刻画面をスクショしていた。
もうこれ逃したら行かん方がええでと思う時間になり、枕元にあったエアコンのリモコンを手の感覚で探し、ガンガンに暖房をかけて、よいしょと気合いを入れて起きあがる。今年の猛暑、待ちに待って本当に待って、新しくなった最新のエアコンだから、リモコンが壁にひっついていたりしない。ちゃんと布団に入ったままでスイッチが押せる。
ほんまに寒い。いや、“眠い”よりも、“寒くて動きたくない”が勝っていることに気がつく。
寝るときにベッドから床におとしただけの上着を羽織る。靴下も履く。いつの間にか新調したての寝具を替えなくてはならない時期に突入していた。肌ざわり、気に入っていたのにな。
まだ出発時刻まで余裕がある。仕事に行く時は、なんやかんやで持っていくものの準備に時間がとられているが、いつもの身支度よりもやることが減る分、まあ余裕でしょと音楽かけながらたらたらと好きなように服を選んで髪を整えて鏡の前でひといきつく。身支度、完。
そして時計をみてはっとする。駅に向かうまでの歩く時間を考えていなかったやんと。本気を出して走って、休んでを繰り返しながら、走る割合を多めにしていったら3分くらいで着くだろう。でもそのあと電車に滑り込んだとして、みな分厚い防寒着に身を纏っている中で、静かに一人汗ばんで、息切らしたまま、なぜかひっつきだしているマスクの中で息を整えるのは嫌だなぁと思う。
そんなことが簡単に想像できて、今、逆算して順立てて考えていると命とり。とりあえずアパートから出て、階段を駆け降りて、車に乗り込み、エンジン起動。そういう日に限って、なかなかエンジンがうまくかからない。なんで?ていうか、かからんってなに?
この子との付き合いも今年になってから。この車はツートンカラーだが、もともとツートンではなくて、前の持ち主が塗ってツートンになったらしい。
「前の人が下手やったみたいです。ツートンカラーは今人気で、その分高いから、自分で塗装するケースがよくあるんすよ。もちろん車屋へ頼んでなんですけどね」
よく見ると、ポツポツと白い塗料が落ちてしまった箇所がわかる。「うちのところへ持ってきてたらそんなことにはならんかったんすけどね」とバッテリーあげたり、パンクさせたり、ガラスを割ったりと、車校で習ったトラブル一連でお世話になってきている中古の車屋さんはさばさばと言う。走行距離で比べても、ここにある中では断然お勧めされていなかった“クルマになりきれていない感”に愛着が湧き、謎の使命感が出てきて、これしかないと奥に移動させられたその車を迎入れたのだった。ちゃんと今回はオイル交換するのでと心に誓っている。
2度3度とブレーキ踏んでボタン式のエンジンを押すを繰り返してなんとか起動。雪がちらほらとか、浸ることもなく隣の駅まで車を飛ばしていく。いつもより信号待ちを長く感じながら駐車場まで辿り着く。ずらっと停めてある車に焦りを感じ、入り口からだいぶ遠い所に停めて、そこから駅のホームまで走る。改札が階段をのぼったところにあるのがこの駅の嫌なところで、最寄駅の隣の駅を使う時は決まって電車に乗れなかったときだから、厄介極まりない。息を切らしながら切符売り場までつき、久しぶり過ぎて見つからない目的地の駅の料金を地図で確認して購入後、改札へ。ちらほら制服姿の人たちが部活で出入りしている。知り合いに誰にも会いませんようにと願いつつ、結局駐車場から走ってきたので、息を整えながら電車を待つ。待っている間に今度は寒くなってきて、本格的な冬を感じた。
どうしても今日じゃないといけなかった。ここから年末まで、あっという間に過ぎてしまう。毎年時間的に余裕がなくなるから、今、ぼーっとしに住み慣れた場所から出て、過ごすことが必要だった。車で行くことも可能だが、山に近い高速道路はこの寒波の影響で凍っていそうだ。手間はかかるけれども、電車に乗り一時間半。無事に馴染みのある場所へ。今まで毎月行くこともあったけれど、今年はまだ2度目だった。気がついたら12月になっていた。
降りたったら、いつもまずお昼ご飯にと目指すごはんやさんが今度は商店街にお店を出したということで向かう。顔見知りになってしまったけど、素性とかなにも分からない方が心地がいいので、平静を装って、何にも知らん客として、ただただ空腹な客として料理を注文しようとする。迷っている間、じっとだまって店主さんは待っている。メニューがいつも行く山の上の店と違うので、いつもの料理が頼めない。いろいろある品名にテンパって、「わー何食べたらいいんか分からん。全然分からん」といろいろ口走ってしまう。“平静を装った客”という設定はだだ崩れ。繰り返し、いろいろとツッコまれながら、「お久しぶりです」と声をかけられる。小っ恥ずかしくなり、寒いという雰囲気を出してみる。
食べ歩きか持ち歩きか中で食べるかの3択だったと思う。
「じゃあ、中でいいですか?」「ここやけど。どうぞ」と店主さんはぶっきらぼうだが、横手のドアを少し開けてくれる。部屋の壁に取り付けられた板を引っ張り出して簡易テーブルにしてくれていて、椅子も座りやすいように引いてくれている。そういう小さい気遣いをいつも自然にしてくれる店主さんなので、その気遣いにその時気がついたり、時間が経ってからはっとして感動したりする。中に入ると、正面が商店街。行き交う人がまるまると見える。商店街を前にして左手に簡易机、布で簡単に仕切って、右手に厨房がある。
ぼーっと商店街を眺めながら、パチパチと今、揚げてもらっている唐揚げの音を聞く。こんな音は意外にも久しぶりだということに気がつく。耳馴染みのいい音だ。
わたしは、座ったすぐ近くに「焦げないように」とストーブを置いてもらいながら、ごはんができるのを待っている。
商店街から冷たい空気が入ってくる。今日は太陽は出ているが、風がとても吹いているので寒く感じる。
会話はなく、ただ作ってもらっている。静かだけど、これは沈黙だけど、なぜかその静かさは気まずくなくて、心地がいい。穏やかな気持ちになっている。わたしは机に肘をついて、外を眺めながら待っている。ただ待っているだけだけれども、落ち着くので眠たくなってくる。
「お待たせしました」
簡易のアルミのトレイにのった塩おにぎりとから揚げが出てくる。朝からほうじ茶しか飲んでなかったので、真っ先にから揚げを食べ始めるが、それが熱くてかじり切れない。
静かに時間がゆっくり流れている。
2品を作り終え、わたしが黙々と食べているところで今度は頼んだカフェオレを作り始めている。豆をカラカラカラキリッキリッキリッとひく音が聞こえる。
「フタは要りますか?」
フタはいらないと伝えると、恐るおそる並々カップに入れたカフェオレが届く。
コンビニのコーヒーやチェーン店のコーヒーはよく飲むけれども、少し甘くて身体に沁み渡る味だった。朝ばたばたした分、今、完全にほっと一息ついた感じがした。
食べている途中、商店街からお店をのぞいて注文する観光客の人や、すでに店主さんと顔なじみの人がお店に顔を出した。店主さんはぶっきらぼうだが、誰に対しても話の節々で面白がって爆笑したり、つっこんだり、変わらないスタンスで話している。日曜、山の上のごはんやさんに行った時と同じお客さんも来ていた。よく会うけど、行動範囲まだ変わらず一緒やんと思っておかしかった。
距離感は遠めがいいのだけど、山の上の時より、厨房が目と鼻の先。「味噌汁あったら最高やのにな」「えっ!まじみすった。あるんですか?」「いやないよ」ごはん食べつつ、店主さんと通常の2年分くらいの話をした。
「雪降ってなかった?」「来る時ちらちらしてたんですけどね。もう降ってないはずです」
「どこ行ってきたん?」「海に」
「えっここまできて海入ってきたん?珍しい」「いや少しずれて道歩いてきました」
海のにおい、冬だからしてないと思っていたけれど、場所によって違うらしい。そして、この街はあまりしないらしい。わたしはそんなことないと思うけどなぁ。
「やっぱり降ってるやん」「うそぉ?」「ほら降ってるやん」
見えづらくて、真横の扉を急に開けられる。出迎える時よりも、結構勢いよく豪快に開けるやん。冷たい風が急に入ってくる。大きいわたのような塊が風にのって斜めに、ふわふわ降っているのをみながら、カフェオレを飲んだのだった。
今年はあっという間だった。
厨房の隣の簡易テーブルでごはんを食べながら、もう完全に冬やなぁと思った。
自分の心の声に耳を傾けること。心を穏やかに保つこと。日々の家事、週末の家事を予定通り進めていき、平日の仕事終わりにストレスなく家での時間を過ごすこと。好きなことをする時間を毎日とること。週末文章を書けるコンディションに整えておくこと。
お菓子を誰かにあげたいとふと思いついても、心がささくれ過ぎてたりしたら、渡さなかった。自分をまず大事にするやり方を少し掴んできた気がする。
春から練って夏〜秋の連載で、載せてない部分で、昔から苦しい局面でよく文章を書いてきたことを思い出すことができた。秋書き終えてからは、出がらし状態。
もはや「書く」ことは、それ自体、想像するとしんどいし、めんどいし、書くのによく利用してたコメダ珈琲店行くのも二日酔いレベルで気持ち悪くなるから、もう書くことないんかなと思っていたけど、映画みたり、アニメみたり、島で家具や建築物みたりと、たくさんすすめてもらって、インプットさせてもらえた11月〜12月。そしてまた、本がもりもりと読める時期が来ていて、それを続けていると、今度は頭がもさもさして気持ち悪くなってきた。
今は、これからも、留めたかったことを書いておきたいなという気持ちがまたふくらんできた。書くことも、人間の生活のサイクルの中の一部というか、生理現象な気がし始めている。
昨年の冬は、このままここにいるか分からなかったけど、会いたい人にも同じ場所で、また会い直せることができるようになってきた。
ほっとする時間をつくりながら、自分の納得のいく選択をしながら、ちまちまとわたしの生活を続けていきたい。
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