「もう大丈夫なんやな」と思った。
もうなにも持って帰らなくても大丈夫。嬉しくて胸を膨らませたり、深い呼吸を繰り返したりして、その上で、目に見える証として、形のあるものを手に入れて、自分の住処に招き入れること。明日からまた始まっていく日々。力尽くでなぎ倒して、わたしが闘っていかなければ、自分の示しがつかず、納得がいかない気がする。
そう思いながら、気にいっている場所へ行けば目当てのルーティン。欲しかったものを手に入れ、その上でプラスアルファの必要のない物を買っていた。家の至るところに物が増えていき、部屋中の壁に貼り、床に無造作に積み上げ、転がっていてそれがもう6〜7年は積み重なっていることにフライヤーの日付、“2016年”を見て気がつく。2016年頃のわたしの心の荒れ具合やひしひしとそれらをかき集めて安心する空間を作らざるを得なかった時期へはもう戻りたくはないし、思い出しても苦しいだけだし、やり直し方は今のわたしでもわからない気がする。
10月に連載が終わり、10年分のわたしにだいたいの区切りがついたことで、物理的にも精神的にも時間に余裕ができたような気がする。ずっと無造作にトイレに貼られ続けていたそれらの日付のものたちを、今の西暦から引き算して、はっとすることがよくあった。この間、2016年が待ち遠しくて、きっとこの時期はお金もスケジュールもやりくりできんくて行けんのやろうけど、でも行きたいなぁと思いながらこのフライヤー貼ったのだった。
「この間、高校卒業したばっかりやん」という浮遊感がまだわたしの中にあって、それでももう9歳下の弟が高校を卒業していて、従姉妹の子がこの間寝返りしたところやった気がしたのに、先日玄関まで新年の挨拶をしに来てくれた。あんたら雨に打たれてるやん。気も使えずに、その経った年月にびっくりしたまま話し続けてしまう。もう中1だとよ。
ぼんやり貼りっぱなしのフライヤーを眺めたまま、「なんかもう剥がしてもいいかもしれん」と見る度に鬱陶しく思っていることにはうっすら気がついていて、新年帰省から戻ったその日に荷解きをしながら、一つ剥がしてみたら、その勢いで全てはがすことができた。
そういえば先月、今年を終えるためにと最後の締めくくりにお馴染みのところへ出かけた時のこと。今までと同じように、お守りとして欲しいと思うものは見つけたけれど、いまいち今のわたしにはかき集める衝動や反動がつかなかった。ただいつもより、お店の人と一対一で目を見て話をすることができて、新しいことを知れた満足感で心があたたまった気がしていた。
2年前(年明けた!からもう3年前)、素材も形もお気に入りで、「今日来たばっかりやけど、明日の予定にもこれ来ていきたい」とか思って、よく洗濯して着ていた赤いワンピースがあるのだが、それがここ最近、一向に着れなくなった。今は、しっくりくるものを選ぶと深い緑や青が自然と増えてきていることに気がついた。そして、黒い服はこの6〜7年、封印してきていたのだが、昨年(年明けた!ので昨年であってる!)、あるティシャツが目に留まり、白地と黒地の2色展開。絶対白地を選んだ方がいいし、着てみても絶対白の方がしっくりくるのは分かっていたのだけれど、どうしても黒地のティシャツの方が気になってしまった。1週間、ネットを開けたり閉じたりして迷い、結局2色とも買ったのだった。黒地を着てみてダメだと思ったらまあ弟にあげようと思ったけれど、全然そんなことなくしっくりきたし、着ていて嬉しい気持ちになるので、今、よく着ている。この冬は、3パターンくらいすきな服装があるのでとても楽しい。三連休がたくさんあっても困らない。小出しに用をつくって3日間とも出かけたい。
「今日、休みやからお茶っ葉多めにしよ」というご褒美が続いてはや6日。年末の休みは帰省すると、実家だから、母がいるから、弟を半強制的に従順にするから、で、あまりお茶っ葉で休みを感じきることは少なかった気がする。年が明け、自分の生活の拠点に戻り、二度寝三度寝を繰り返した後に、わたしのリズムで生活が始動し出した。テレビをつけたら箱根駅伝、復路はもう8区。みんな朝からがんばっとったのに、もう昼やん。
昨日は、年末に買いそびれた生活必需品を買いに、夜中に家を飛び出しても、いつもと変わらず開いている薬局があった。もうほんまにありがとうございますの気持ちになっている。一昨年、去年よりも一段とそう思う。
外出先から戻り、アパートのドアを開ける時、トイレを開ける時、真っ白な壁がわたしに迫ってくる。白すぎて、キューブリックの白い空間やドラゴンボールの精神と時の部屋くらいの、逆に圧迫感というか、迫力というか、気持ち悪さがある。眩しい気がする。MRIの真っ白の空洞に入った時、気が狂いそうになるところ、真上の黒い線をみて自分を落ち着かせていた。わたしの空間に、そういうほっとする何かが物理的にでも精神的にでもこれから見つかるといいなと思う。
普段は新聞をとっていないし、必要と分かるけれど読んではいないが、正月の分厚い新聞はなぜかすきで、実家で、初売り出しの束になった広告とともに時間をかけて読むのが毎年すきだ。コロナやウクライナのことがあって、なんとなく暗めな数年間の新聞だと思ってしまう。
そこに、ブレイディみかこさんと藤原辰史さんの対談が載っていて、「他者の感情や経験などを想像する能力」の「エンパシー」が紹介されていた。「自分の内面からわきでる共感・共鳴の感情」である「シンパシー」と異なり、エンパシーは人々が経験から獲得できる能力で、分断を乗り越える鍵があるのではと言われていた。
昨年12月、ありがたいことに毎年来てくださる方達と今回は餅つきが行われた。一歳に満たない子どもとお母さんもいて、お母さんは子どもを抱えたまま、めちゃくちゃ動いていた。以前みんなで話していた時に、周りのことをたくさん察してしまうということを聞いていて、わたしもそういうの分かるなぁとひしひしと思っていた。それでもその日、わたしはイベント2日目で早起き苦手でとても眠かったし、身体も疲れて動きが鈍かったように思う。でもそのお母さんはよく見て、他の人よりも子ども1人抱えながらもよく動いていて、衝撃を受けていた。
時おりわたしは、すぐ表情がころころと変わり、愛想良くしてくれるそのお子さんに、遊んでもらって、癒されていた。いつの間にかその子を抱っこして、葉っぱとか電気のスイッチのカバーとか触りたくなったりするその子と一緒にいろいろと連れてまわる楽しみがあった。翌日から両腕が筋肉痛。そして2、3日はとれなかった。
出産や育児で仕事を休まざるを得ない人たちがわたしの周りにもいた。日常的にオーバーワークだけど、目に入れば気も配りたいわたしは、座る場所や暖房の効き具合など、いろんなところで目を光らして、いっぱいいっぱいになっていた。イライラして、わたしも休ませてくれと思っていた時期があった。
昨年末、そのお母さんの動きをみて、やることが倍になったのに、それでもやらんといけんこととか、自分自身として納得のいくような動きは子どもがいたとしてもしたくなるものなのではないかと思った。腕の筋肉痛からも、そうとう身体にも負担がかかっているんだろうなぁと思った。
「わたしには経験がないから」と何も納得できることが言えない、想像も果てしなくてできない、そして「こんなわたしやから」という卑屈になる無限ループがわたしには確かにあった。解決の糸口が見えず、途方もなく蓋をし続けていたのだけれども、ようやくちょっとだけ自分に納得した上で、何か手助けできる糸口がわたしにも見えてきた気がしている。シンパシーやエンパシーという言葉から思い出された先月の出来事だった。
これまでと同じようにこれからも、いろんな人のもとで過ごさせてください。いつもありがとうございます。
だらだらと、最近の思いついては頭の中で錯綜していたことをつらつらと書いてしまった。。今年もどうぞよろしくお願いします。
そして、安達茉莉子さんの『私の生活改善運動』を読んで拍車がかっているところがありそう。めちゃいい本やん。
年末年始、めちゃ聴いた。総括感すごくない?もう4日になってしまったら、総括感ぶっ飛ぶの知ってるから、急いで書いた前回と今回。どっちもたのしそうに歌うし、踊ってて、見ていて楽しい。
毎年観てる「明石家サンタ」の録画も観終えたので、もう今年が始まります〜
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