だらっとしてたら田中泯さんがまたおりました。

夜にお風呂に入ること。暖かくなってきて、入るまでが億劫ではないことと、休日だけれどもやることやり尽くした感(やる気がないのもある)で、時間が惜しくなくて、早く寝ようと、巻きでお風呂に入ってあがってからのこと。たまたまテレビつけたら、NHKの「SWITCHインタビュー 達人達」という番組で、橋本愛さんと田中泯さんが対談している途中だった。


田中泯さんは、昨年くらいから本の『僕はずっと裸だった』を、東京の読書のすすめさんで教えてもらって知った。その流れで、映画「HOKUSAI」を観て、ただただその役に、わたしも没入しているような感覚になって、ぼろぼろ泣いたことを思い出した。


今回、途中から見てみて、やっぱり泯さんは、自分自身の身体とともに生きている方だと思った。役作りをするにあたっても、自分に馴染ませるようにされていた。「塩づくり」の役であれば、クランクイン前に修行に行き、身体を塩をつくる人間としての佇まいを確立してから撮影に向かうとのことだった。「嘘をついたことがない。嘘がある場所には近づきたくない」みたいなこと(だいぶ意訳してると思う)も言われていた。自分の身体と対話して、感覚に敏感で、突き詰めてこられているある種、“職人”のような方が、こちらも俳優の橋本愛さんと話をする時の言葉の出し方や声色、表情、反応の仕方、座り方が見ていて、なぜかわたしを穏やかな気持ちにしてくれていた。なんなんだろう。ぜんぜん刺激してこないのだ。


最近自覚したわたしから思い浮かぶ、憧れている人たちは、みんな主張の声が大きくない。それはボリュームもそうだけれども、口調の強さや、話すテンポ、トーンもあると思う。「聞いて!聞いて!」ということではないのだろう。話していてどんな気持ちでいるのか、想像し切れないのだけれど、自分自身に確かめながら、穏やかに出せたらいいなと思う。


そんな風に言うと、今のわたし自身が出来てなくて、かわいそうな気がしたので、自分自身として、よく戦ってきたぞ!よくがんばった!!とつよく抱きしめたい。今、そう思う。そしてここから、もとの自分に戻っても大丈夫だよと、自分を許してあげようと思う。

なんとなく、今書きながらそう思ったのだけれども、これだけでも胸の奥深くがじんわりあたたかく、少し開けて軽くなったような気がする。



今日(というか、もう昨日)、小川さん主催のセンジュ出版さんの読書会のアーカイブを見させてもらった。ありがとうございます。まだ言葉に言い表せてない部分の方が多いし、会いたいといつ会えるのかと、なぜ会えないのかと、再会をずっと待ちつづけている人もいる。そんな中で、一番近くにあったのに、見えていない、自分自身のトゲをいろんなところでみて見ぬふりをしてやり過ごしてきたことに気がついた。いろんな自分自身の態度、感情、言動から、わたし自身にサイン出してたんやなーと思った。いつの間にか膿んでるところもあるやんと思いつつ、一つひとつ、まずは自分自身のことをみながら、地に足をつけて、ひとりの生活者として、過ごしていけたらと思います。

こんな風に自然と思える日がくるとは思わなかったので、本当にありがとうございますという気持ちです。


橋本愛さんと田中泯さんの対談は今回が【前編】だったので、来週は【後編】。嬉しい。それまで楽しみ。来週も観ようと思って、とりあえず録画。もともとの自分自身に戻っていく過程がたのしみだし、この流れで、読みかけで止まってる泯さんの本も楽しく読めそうな気がする。

そして、最近、数珠つなぎのように本が読めていて、読書楽しい周期で、それはそれで嬉しいです。

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