ゆらゆらゆらゆらぼくの心風に吹かれて〜〜るレベルならええんやけどな。 yurinasiaのダンス

yurinasia(ユリナジア)を知ったのは、仕事帰りの何気なくつけたテレビでのこと。ぎり見れたり、ぎり見れなかったりするセブンルールという番組の中で、ダンサーであり振付師として紹介されていた。お腹が減ってなんとなくひと休憩、座ったついでに流れているから、次々物を食べながら、眺めていたという感じだった。風貌がまず、“その人”としてしっくりと似合っていて、その時点で意識した感じではなく、自然な感じだったので、普通に見ていて、見たくなる感じで、釘付けになったまま気がつけばエンディングになってしまった。この人は、ショートカットを自分のものにしていて、久しぶりにいいなぁと憧れてしまった。それからなんとなく頭から離れなかったので、Instagramを何気なくフォローしていた。彼女達が運営するダンススクールでは、毎週金曜日に動画をあげているということを知り、何気なしについこの前、音を出して動画を見たのだった。


「東京フラッシュ」という曲を、これまた何気なしにこれまたセブンルールよりも遅い時間帯、夜が深まり普通に床に座ってたら寒い時間帯、だらけていたらお風呂入ってないままその時間帯になるのだけれども、付いてたテレビ番組のバズリズムで知った。今回は、その曲を作った、Vaundy(バウンディ)というアーティストの新曲「踊り子」でのダンスだった。手を叩いてみんな一斉に同じ動きをするところや、それぞれが自由にダンスしているところ(わたしにはそう見えるだけなのかもしれないけれど)、時折目を合わせて笑っているように見えたり、とにかく楽しそうに踊っていて、見ながら、心の中でわたしも踊っている。演劇してた頃、音楽に合わせての振り付けは、合わせなくてはならないもので、そこは逃れようのないものだと思っていたので(そこでは今でもそのパフォーマンス上、必要なものだと思っている。揃えることでバラバラのものを無機質に一塊としてみせる美しさがあると思っているから)、合わせなくてもきれいなこともあるんだなぁと知ったのと、バランス感覚が絶妙だと思っていて、普通にそのバランスが綺麗で、見ていて飽きなかった。マッドマックス怒りのデスロードみたいな感じ。そして、興味あるけどダンスせずじまいでここまできたので、羨ましく、輝かしくもあった。


一日を終えるのが惜しい症候群のわたしは新聞配達のバイクの音で焦って寝ようと電気を消すことが多いので、朝の目覚めは最悪、起き上がろうとするための、とりあえずが、その動画をYouTubeで音量マックスで再生することでどうにかこうにか起き上がるのだった。実際のミュージックビデオでは、小松菜奈が出ている。小松菜奈には“儚さ”が風に吹かれているときにとても出ていると思っていて、この曲自体、寂しい感じがして、加えていいなぁと思うのだ。


そんな感じで一人でいろいろ知って、嬉しく思うこともたくさんだけれども、一方で、何に時間を費やしてるんだと思うことも多かった一年だった。こういう数珠つなぎのように知って、自分の生活の中、色々な感情の中に馴染んでいくものを、その渦中で摂取し続けたいけれども、一方で、普段は、生身の身体、防御0で斬られる感覚になることもたくさんだった。寂しくいることや時間が祝福されなかったり、大事にされないまま、なぜわたしはこんなことを何度も盛大に祝福しないといけないのかと思う27歳であった。そういう歳だからしょうがないのか。(そもそもそこを乗り越えるしかないのだよ、わたしが未熟なんすよと思いたいですね。どうやって乗り越えるんかは知らんけどな。)自分で自分を大事にすると、その結果、悲しくなることが多いなぁと思いながら、せいぜい嫌がられながら(そこはもう格好悪いけど、もうええんよ)、とりあえず通り過ぎるのをうやむやにしてまつのだ。


なんやこれ。全部寝るのが遅いせいにしたいし、だいたいそうやと思ってる。今年は、カントリーロードめっちゃ運転しながら歌ったんやからな。ばあちゃんの「なにくそと思って歯ぁ食いしばるんやで」も最近よく思い出すんやから。ありがとーばあちゃん。とりあえずめっちゃ潜れた一年。しょうがないんよ、書き留めておきたいくらいの浮き沈み鬼の一年やったんよ。ごめんやで。

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