風がたしかに吹いていた。  青木隼人さんの個展

一人、心に留めていることがある。このご時世なので、尚更なのかもしれない。自分から一人で閉じ込めて噛みしめるのがすきだからそうしている節もある。嬉しいときも悲しいときもどっちにせよ噛み締めて、本や音楽や映像をみたりする。その時々の感情は、その時にしか成しえないもので、どの一瞬も貴重。自分の感情が動いた時、それは今だからこそ、動いたとしかいえない。ナマモノ。だから自分の感情に忠実に、忠実にいることが今この瞬間の自分自身で。そこからまた一瞬一瞬が積み重なって、わたしは私になる。だから今、このタイミングでどうしても見たい絵があって、見に行った。色々考えて、車で行った。


海は穏やか。涼しかったけれども、現地での移動は徒歩。今になって、日差しにやられたのかと頬がひりひりする。まぶたは暑くて重い。目を閉じると、太陽のにおいがする。
個展、行ってよかったと思った。見ていると、心地よい風が吹いていた。自然のにおいがした。心の中で、原っぱでは回りながら踊った。起きているけれども、寝ているような、穏やかな、フラットな心持ちでいられて、目の前の景色から、その奥の行ったことのない風景へ思いを馳せた。そこも風がそよそよと吹いていた。


アルバム「Echo/Room Echo」は初めて買ったCDで、初めてこの落ち着いた空間や心持ちは、家にも持って帰ったら、同じように作れるのだと知ったものだった。それ以来、同じように自分の心が穏やかになれるようなものを試して、見つけて、集めてと繰り返して今の自分になっていると思う。それをする中で、出会った人からの勧めで、それと同じようなものや、それとは別のものを知っていった。別のものでも、その中には自分自身が嬉しくなれるものがたくさんあることを知った。試していきたいものが増えた。それでも一番の核となる部分は、自分自身が穏やかでいられるというところだと思う。


情景や思い出したこと、気持ちを事細かく書き留めておきたいのは、その瞬間の穏やかになった感情や風景を噛みしめたいからで、嬉しくて書いてしまっているからなのかなと思う。

方法はこのブログや、note、手紙と書くのが多いけれど、今までの演劇も、買ったままあまり使われていない楽器やカメラ、ボイスレコーダーも、試行錯誤とまでいくほど時間を費やせてないアロマも、そういった感情を思い出したり、噛みしめたいからだと思う。


今回、絵をみて、その場で過ごして、呼吸をして、息を整えて、心が回復してきていて、この瞬間だからこそ、また思いついたことをやっていきたいなと思った。

Instagramは2年ほど前に一度入れてみたけど、いいなと目で見て思った瞬間を、カメラでもう一度切り取ると全然しっくりこなくて、すぐに諦めていた。言葉じゃない方法で、その場の空気感を持って帰れたらと思って、少し前に買ったボイスレコーダーは、使いこなせてない。じゃあ、その間ということで、動画を回して、音を掬いあげて、画面は静止画でとりあえず当分やってみるかと思って、とりあえず、またInstagramを復活させてみた。


なんか分からんけど、これじゃないなと思うまで、広げていこうと思います。

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