2021.10.30
「俺、サッカー観に行って以来、久しぶりにおねえに会ったわ」と母から聞かされる。そんな訳ないわ、正月とか去年以外会ってるやろと思い、写真を見返してみると、最後に会ったのが2019.8.13。大阪、弟のアパートで集合して、電車乗り継いでセレッソ大阪の試合を観に行った日だった。まじかよ。じゃあその年明けから本格的にコロナウイルスが流行って、地元に帰れてなかったのだろうという流れまで辿っていける。
あのときから考えると、高速道路も一応乗れるようになったわたしだ。思い立っての行動ができる便利さ、時間を制限されないこともあって、今では知ってる都会ではない目的地(二車線以内)であれば、車での移動を選ぶことも出てきた。思ったよりも時間があっという間に過ぎてしまい、約束の時間にルーズなわたしは、未だただなんとなく、新幹線に乗ったり、大阪に行ったりしていない。
久しぶりの今日は、祖父母の家、通称「ちぐさのばあちゃんち」がもうすぐ壊されることを知り、たまたま帰ったタイミングが合ったのだった。
弟はなぜかキャンプにハマっていたので、我が町のホームセンター「アヤハディオ」に寄った。一人で河川敷とかで魚焼いたり、焚き火したりするらしい。どうせすぐに飽きるとこちらは思っている。優柔不断に商品の購入を行ったり来たりして迷う弟なので、久しぶりに聞いたアヤハディオの歌を結構大きめな声で母の隣で歌いながら移動し、下の弟にまじで嫌がられるという一通りを2.5回ほど終え、面倒になりキャンプ用のベンチに腰掛けて、ベンチを物色してるフリの休憩を行う。
もう夕方、5時前。ここから祖父母の家に行き、もうひと息。物を整理、判断し、いる物を段ボールに詰めることが、そのために帰ってきたはずなのに、少しおっくうになってきている。
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今年、シン・エヴァが公開された。そのタイミング前後で庵野監督の作品に対するこだわりをテレビやネットや人から色々収集し、別の作品をあさって、観て、一人で感じたりしていた。(結構病んだ)。風景の切り取り方を探って、試して、やり直してということをたくさんされていた。
わたしは今まで、外を歩いていて、これいいなと思う瞬間に立ち止まって、スマホをカバンから出して、カメラをつけてという流れが、ただその道中の移動を楽しめるところを、時間がそこで止まり、写真を撮るという目的に変わってしまうような感じが面倒で、それよりも先に進みたい気持ちになってしまうように思った。せっかち極まりないな。
わたしにとってカメラは、ちゃんと時間を確保して、「作品を残すもの」という位置付けなのかもしれない。
庵野監督の角度にこだわる作品作りの姿勢に、わたしもそういうカメラのような媒体を使って、その感覚探ってみたいなと思ったのだった。いろいろ物色して、結局5年前くらいにカメラが欲しくなった時期(その時期だけだった)に見ていた中古のカメラを買い、その3月に手に入れたにも関わらず、特に撮りたいと思うことがなく、この帰省まで送られてきた段ボールすら開けてもいなかった。埃が被った段ボール。
このタイミングを逃せば次いつ撮りたいと思うかは想像できず、母が運転する車の助手席の窓から撮りながら移動していた。カメラ、全然使いかた分からんわ。ただ当たり前だったのに、こんなに水辺を撮るとは思わなかったし、空の青さや、よく見慣れた看板や建物を、車が走るスピードの中でパシャパシャ撮りたくなるとは思っていなかった。なくなってしまうのだろうと思うはかなさと、これもこれも忘れたくないなと思う気持ちからなのか。
祖母の葬式の日、親戚や従兄弟、わたしも帰省して長く帰ったのだが、「ばあちゃんはみんなを会わせてくれたんやなぁ」と下の弟が言ったことがあったことを思い出した。
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