幻のレモンケーキ

それは、白いドットが入った銀色の箱だった。
それは、両手に収まってしまうほどの大きさの箱だった。


ある日、それは、ガラスの食器棚の下についている、木の戸棚から出てきたのだった。
食器の種類や大きさ順に、綺麗に積み重ねられている食器棚とは違い、木の戸棚には雑多に物が入れ込まれていた。

普段使っていないお盆、大きさも種類も用途も異なるタッパー類、プラスチック製のブルーとピンクのおしぼり入れ、キャラクターが描かれたアルミ製の弁当箱。目に留まった物を手に取ってみると、その奥からまた目につく物が、次々と出てきたのだった。

とろろ昆布や味の素に上白糖。味付けのりの空容器に入った黒飴。物に紛れて食品も、ちらほら顔を出してくる。そういうものを見つけると、「なあなあ、ばあちゃん!ばあちゃん!これ、(この戸棚から)出しとかんでいいんけ?」と、お茶の間から少し離れた厨房で、洗い物をしているばあちゃんに声をかけるのだった。その戸棚は、あまり開ける機会のない場所なので、見つけてしまった!わたしが!早く言わなければ!と、長女気質のダダ漏れの正義感からか、大声で主張することになる。

食品関連を置いておく所定の場所は、そこの他にちゃんとあった。厨房のコンロ下、サラダ油や醤油、味噌が置いてあるところや、ちゃぶ台の上の木の茶菓子入れの中や側などだ。

しかも、昼ごはんを食べる前に買い物に一緒に行き、ばあちゃんが上白糖を買い物カゴに入れるのを目撃していたりする。その後の袋詰めの時に、わたしは、マーガリン入りのロールパンが潰れてしまわないようにと、買い物袋の一番底に入れた記憶も確かにあった。

わたしが伝えてもなお、洗い物の手は止めないばあちゃん。どうしようかとやきもきしながら、手持ち無沙汰に手に持っている上白糖のパッケージ裏を確認する。賞味期限が余裕で切れている。他にも黒飴は溶けては固まってを繰り返していたのだろう。包んでいるビニール紙自体がベタついていて、残っている黒飴の容器の中に手を入れると、もわっとした独特の湿度感と甘い匂いがしたりする。

ばあちゃんには、さっきから言い続けているけれども、全く聞く耳は持ってもらえない。
その上、「ええから!ええから!それはそこにちゃんとしまっといて!!」と言う。後から困るのはばあちゃんやのに。本当に、一体、なんでなんやろな。

腑に落ちないまま、わたしは、茶の間にあるその戸棚とちゃぶ台の間に寝っ転がった。


戸棚の中を物色されることを、ばあちゃんはとても嫌がっていた。だから、ばあちゃんとちゃぶ台を囲み、テレビを見ている時にはその扉を開けることができなかった。わたしはその木の戸棚の、湿度がこもり、プラスチック製のものや溶けた飴などが混ざったその場所の、独特なにおい自体がすきだった。そもそもその戸棚は、宝さがしのようで面白くてすきだった。物の古さも、突拍子のなさも、わたしの家ではないものばかり。手に取りながら、テレビ番組の「なんでも鑑定団」の値段のパネル下で、値段を数え上げられているわたしのイメージが何度もよぎっていた。


その戸棚を開けるタイミングは、ばあちゃんがどたばたと家事をして動いている時か、テレビを一緒に見ながらごはんを食べ終え、眠くなり、横になった時にやってくる。



洗い物を終えてばあちゃんは、茶の間に戻って来た。つきっぱなしのテレビからは、昼ごはんの時とはうって変わって、小難しい議論が交わされている。やることもなくなり、ただ寝っ転がっていたわたしには、眠気が襲ってきていて、すでにうとうとしている。しばらくするとばあちゃんも横になり、テレビの電源を切り、蛍光灯の灯りを消した。

真っ暗。

ここは窓の無い茶の間で、昼間でも玄関から差し込む明かりに加えて、蛍光灯の灯りが不可欠だから。うとうととしていても、いきなり暗闇にされると、怖いが勝って目が覚める。そして、「うちん家、寝る時も豆球は付けとるで」と、ばあちゃんがいる方に向かって言う。

暗闇の恐怖で騒ぎ続けるものの、その全てを遮り「はよ寝るで」と、このまま寝ることを諦めないばあちゃんは、手でトントンと、背中の辺りを一定のリズムで刻んでくる。でもな豆球の灯りはやっぱりいるでと、もう一度主張するけれども、「目ぇつむったら一緒や」と言われて、聞く耳はやっぱり持ってくれない。

諦めて、言う通りに目を閉じたまま眠気を待っていると、しばらくしてから、ばあちゃんのいびきが聞こえてきたりする。その音と共に、目をわずかに開けてみると、暗闇にもいつの間にか慣れてきていることが分かる。

もう背中を、確かなリズムと重みでトントンと、刻まれることもなくなった。いびきと寝息が混ざっている音を聞きながら、いつも蛍光灯の灯りの中で目にしていたビデオテープのラベルやCDのパッケージを、寝転んだ目先に認識し出す。なんかいつもとちがう感じやんと、だんだん面白くなってくる。夜の学校みたいやな。もう目は覚めた。そして、こんな暗い中で、字を読んだりしていたら、絶対お母さんは怒るよなとも思ったりした。非日常感。

上半身だけをぐるぐる回転させて、視界の先にあるものを眺めていると、木の戸棚にいつから貼ってあったのだろうか、1枚だけの色のはげたシールに目が留まる。そのシールを手で触って感触を確かめたりしながら、そのまま、取っ手に手を伸ばし、再び戸棚を開けたのだった。



「えらい騒がしかったな」

ばあちゃんは完全に寝ていると思っていたけれども、こそこそ物色しているわたしのことは諦めて、寝るように努めていたようだった。あんなにいびきをかいていたのに、わたしが戸棚を開けていたのは、どこのタイミングでなのか、余裕でバレていた。

ばあちゃんは昼寝を切り上げて、蛍光灯の紐を引っ張って、灯りをつける。急に暗闇から、真夏のグラウンド。炎天下の昼下がりのように、眩しい。さっきまでこの明るさの中で過ごしていたことにびっくりする。

ばあちゃんの様子をうかがいながら、戸棚から何が出てきたのか、物を手に取って見せる。「見て!ばあちゃん、こんなんあったで!」と、すでにテレビを見始めようとしているばあちゃんに向かって、多少オーバーに言い、一つ一つの物を見せて、お宝を一緒に探す側にしようとする。

ばあちゃんは、返事はするものの気にも留めず、関西ローカルのテレビを見ようとしている。そして、急に思い立ったかのように、「眠気覚ましのティータイムにしよか!」と紅茶の用意をするために、ちゃぶ台から動き始める。わたしはそんなばあちゃんの様子を伺いながら、戸棚の物色を静かに続けていた。そして、今まで辿り着いたことのなかった戸棚の奥まで行き着いたのだった。その時見つけたのが、銀色の白いドット模様の箱だ。


それは、白いドットが入った銀色の箱だった。
それは、両手に収まってしまうほどの大きさの箱だった。

両手に収まるその箱は、奥から出したにも関わらず、古くはなく、蛍光灯の光に照らされて、ピカピカと光っていた。箱の表面には、おしゃれなカタカナ表記のラベルが貼られていた。わたしはさっきまでと同じように、でもやや本気で、テンションが上がったまま、「ばあちゃん、これなんなん!」と見せる。

「お菓子なんかもしれんなぁ」と紅茶を用意しているばあちゃんは、厨房から顔だけ覗かせて言う。

そして茶の間まで来て、もう一度眼鏡をかけて、表記された文字を見る。
そして、「レモンケーキなんちゃう?」と言う。

「じゃあ、なんでこんなとこにあるん?やっぱり、ちゃんと出しといたらよかったやん!」と、わたしは今までの、使われないまま、しまわれ続けた調味料や飴玉を思い浮かべながら言ったのだった。


その箱は、セロハンテープでしっかり留められており、すぐには開けられないようになっていた。大きな箱ではなく、両手に収まるくらいのその箱に、入っているのが焼き菓子であればせいぜい2つくらいだ。そして、そもそもそんなキラキラした小さな箱に入っているケーキは、どんなものなんやろうと思っていた。とりあえず、絶対に高級。でも、そもそもレモンのケーキってことは、酸っぱいのに、甘いんやろか。わたしは、レモンケーキを食べたことがないため、どんな味なのかを想像していた。


「そんなにやいやい言うんやったら、開けてみな」
ばあちゃんに言われて、セロハンテープが変色しながらべったりくっついているその箱を、ハサミを取りに行くのも惜しくて、爪で引っ掻いて、こじ開けようとする。うかうかしていたら、用水路にいるカニを、じいちゃんと取りに行った弟が帰って来てしまう。ケーキって、こんなに時間が経てばカタカタいうもんなんかなと少し思いながら、横にしたり、縦にしたりと動かして開けていった。タンスの奥にしまわれていた箱から、初めて臍の緒を見た時のように、まだ見ぬものの形態に若干不安を覚えながら。



開けてみると、そこには羽の色が違う、5羽の鳥の陶器の箸置きが入っていた。
「ばあちゃん!こんなん入っとったで!」
厨房で、ティータイムの準備をしようとして、思い出したかのように先に夜ごはんのお米を研ぎ始めているばあちゃんに、色とりどりの鳥を見せにいく。

「ああ、そうけ」
ばあちゃんは、一瞬こちらを見てくれたが、もうその箱のものには興味を持っていなかった。

ケーキは入っていなかったけれども、わたしは動物がすきで、ぬいぐるみをよく買ってもらっていた。この箸置きに対して、ばあちゃんはそんなに興味を持っていなかったし、きれいな鳥が5羽もいたから、「これ、どれかもらっていい?」とさらっと聞いてみる。

すると、「あかん、あかん!」と言い、「誰かに貰ったんやわ」と米を研ぎながら、つけ加えてきた。

わたしは、何も言わずに厨房から茶の間に戻り、そのまま、箱から5羽ともをこっそり取り出して、茶の間の敷居に沿って、鳥を動かしたり、並べたりしながら遊んでいた。

お米を炊飯器にセットできたばあちゃんは、今度こそティータイムにと紅茶を、茶の間に運んできてくれた。

そして「はい!割れるからちゃんとしまっといて!」と言い、「仏さんにお供えしとったやつあるから、タタっと2階に上がって取っておいで!」と、わたしにおやつを取りに行くことを促しはじめる。

しぶしぶわたしは、鳥を元の銀色の家に戻し、木の戸棚を開けて、元あった奥の位置から少し手前の方にそっと置いて、扉を閉めたのだった。

母親が用事から帰って来たので、もう一度こっそりと戸棚から取り出して、その箱を見せる。母曰く、その箱のラベルに表記されていた店名から、確かにお菓子が入っていた箱だった。車で下道1時間半くらいのところにあるその店は、レモンケーキが確かに有名らしい。

食べたことがない、レモンケーキの想像が膨らんでいく。
そして、また戸棚で忘れ去られてしまうのであろう鳥の存在も気になっている。
そもそも、鳥5羽が、ぴったり箱に収まっていたのも、なんか気持ち悪くて嫌だ。

何も解決しないまま、手に入ることもなく、日にちだけが経っていった。



忘れた頃に気がついたら、その鳥の箸置きは、ブラックホールのような木の戸棚から、その上の、食器が綺麗に並べられているガラスの食器棚の手前の方に、並べられていた。

5羽の鳥たちは、銀色にキラキラ光る白いドット模様の家の屋根に、仲良く並んで過ごしていたのだった。

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