きつねうどん

「そこのおあげさん、出してんか」



木のまな板に、重なったままの二枚の油あげをそろりそろりと袋から取り出して置く。ひっついたまま。でろんと出てきた。

なぜなら、手が油でべとべとになることを気にしているからだ。袋から取り出したあげを、別々に引き離そうとするけれども、「今日食べるからこれでええか」と、2割引きシールの貼られた油あげは、手の汚れを気にする奴の手つきでははがせない。わたしは、一旦まな板に置いただけだった。

料理をするのだから、手が油でぎとぎとになることもあるだろう。しょうがないとも思うけれども、なるべく片手だけがよかった。片手の、極力少ない本数の指先だけで充分だ。なぜなら、両手を使ってしまうと、その隣にある水道は、真夏も真冬も冷たい井戸水しかでてこない。油なんて落ちるはずがないのだ。

給湯器がついているお湯が出る蛇口は、厨房の奥まで移動しなくてはならなかった。
距離はないけれども、隣で今にも全ての工程をやり尽くしてしまいそうな勢いのあるばあちゃんから、真反対側にある給湯器の使い方をもう一度聞くのも、ばあちゃんの動線を横切るのも、億劫だった。普段はじいちゃんとばあちゃんの2人分なのに、今日は一度にわたしと弟と母親の分も作らないといけない。だから急ぎながらも、手際よく料理をしているばあちゃんの手を止めさせて、聞いた後のばあちゃんを想像すると、ちょっと恐ろしかった。

お湯は出なくとも、手についたわずかなあげの油は落としたい。給湯器の側のシンクにだけ、石けんはないけれども食器用洗剤はある。私はその洗剤をこっそりと使う。

ばあちゃんは料理中に、手を洗うことを良しとしていなかった。そして、食器洗剤そのものも、あまり好んではいなかった。なぜなら、洗剤のにおいが、手や食器から料理にうつってしまうからだ。洗剤をあまり使わないから、容器から、想定していた量がすぐに出て来ない。プスッ。プスッ。と、業務用の緑の容器から、洗剤よりも小さめのシャボン玉になって出てきたりして、より焦る。わたしが奥のシンクにいく必要性はないので、いつかばあちゃんにバレるのだけれども、シャボン玉のタイミングだと少しではなく、結構大きめの声でキャンキャンと、まあまあ言われる。

ばあちゃんの手を止めることを一旦、その工程でクリアできたけれども、蛇口をひねるその手がにゅるにゅると滑るのこともまた気になる。そして、洗剤を泡立ててから、腕まくりをしたその服の、袖が泡立った手の方へ下がってきていることも気になる。さっき、やいやい言われたとこやのに、手を洗いながら「ばあちゃん!うでまくって!」ともう一度、ばあちゃんの動きを声だけで止めなければならないことも億劫だった。


まな板に重なったままの油あげ。わたしが、離れていないあげ達を気にしているにも関わらず、ばあちゃんはそのままたんざく切りをし始める。一瞬でおわる。

沸騰した手鍋に、うどんの素を入れ、しょうゆを少し入れ、その中に切ったばかりのあげを、包丁でまな板からかき集めて、ざざっと入れる。そして再沸騰を待つ。

その間に、油ぎったまな板をその側にあった布巾でざっと拭く。その布巾、きれいなやつなん?何用なん?と思いながら、わたしはそれらの工程を見ているだけだ。

そこにスーパーで買ってきたばかりのネギのビニールを、包丁でさっとはがし、まな板に置く。ばあちゃんは、ざくざくざくと切っていく。そんなに今日、いるんかな?と思っていると、冷凍庫にさっと行き、白く凍りついているタッパーを持ってきて、ガンガンと調理場に叩きつけながら、蓋をこじ開ける。ストックしていたネギが、もうすぐでなくなるようだ。「こうしといたら、ちょっと青み欲しいとき、さっとつけれるやろ?」とばあちゃんは言う。説明して、確かにとわたしが納得している間もばあちゃんの手は動く。まな板に切ったネギがなくなったと思ったら、またネギをざっざっざっと切り出して、入れていく。

そうこうしている内に手鍋は再沸騰をする。そして、うどんの袋を開けるように命じられる。出番がまわってきた!と、ばあちゃんのこれまでのスピードを真似して、素早く開けようとするものの、親指で袋の真ん中から一袋、やっとのことでむしあける。余裕で開けられそうなのに、意外に開けづらいやん。うどんの袋。ばあちゃんは包丁で、袋の端のほうをさっと切っては、鍋に入れていて、残るはわたしの一袋待ちだったりする。

うどんを入れたら火を調節して、また沸騰待ち。そこまでしたら、器をそろりそろりとばあちゃんは出し始める。そして、その器にお湯をとおしておくのだった。


やることがなくなり手を止めて、沸騰を待っている時間が長く感じる。もどかしい。本格的にお腹も空いてくる。

ラジオからは和田あき子が『古い日記』を歌っている。
「また和田あき子やん」と言うと、「ばあさん、和田あき子キライやで」とばあちゃんは言う。「じゃあなんでいっつもこのラジオ、聞いとるん?」と聞く。返事なし。


「はい!じゃあ向こういって!セッティングしとして!」
わたしは台拭きを手渡され、厨房を出て目の前にある、大きな8人がけのテーブルを拭き始めることになる。
うどんを食べるから、今日は割り箸を使う。カウンターにある割り箸入れから、5膳取り出す。じいちゃんとばあちゃん、わたしのお母さん、弟、わたしの分だ。


「はいこれ!そおっと持ちなよ」
厨房とテーブルの間にはカウンターがあり、そこにあったであろうガラスの窓はずっと外されている。厨房からカウンターにばあちゃんは必要なものを次々と置いてくる。急須にはお湯が並々入っていた。コップもそろりそろりと運び出し、テーブルに置いていく。

食べる前のセッティングだけが、ばあちゃんの指示なく、わたしが自分で考えてやれたことかもしれない。それもペースが遅いと、最終的にちゃちゃっとばあちゃんがやってしまうのだけれども。箸の向きやお茶碗とお椀の位置はここで教わったように思う。


「はい!じゃあこれはじいちゃんの!」
うどんが次々とカウンターに誰のものか言われながら置いていかれる。

「そおっとな!そおっとしなよ!」
いつの間にか、じいちゃんもお母さんも一緒に運んでいる。

最後の分は、ばあちゃんが厨房から自分で持ってくる。


いつもの位置に座れば、お昼ごはんの始まり。
「一味忘れとるわ」
じいちゃんが、ギィギィギーと大きな音で木の椅子を引いて立ち上がる。コンクリートの床にこのどっしりとした足の椅子は、立っても座っても主張がはげしい。

じいちゃんは一味唐辛子をカウンターから取ってきて、うどんにかけまくる。
「もう!せっかく作ったのに!もったいなぁ。かけすぎやって」ばあちゃんは言う。

「ええんや」とじいちゃんは言う。
わたしはいつもいらんと首をふる。辛いの嫌やから。



ばあちゃんが作るうどんは、一番すきなうどんだ。
同じようにお母さんに作ってもらっても、同じ味にはなぜかならない。

ばあちゃんが癌だと分かってから、せめてこのうどんだけは切実に知りたいと思って、ばあちゃんに聞いてみると、
「水が違うからなんちゃう?」
と井戸水であることを言っていた。
ほんまにそれなん?



食べ終わる頃には、テレビで吉本新喜劇が始まっている。



と、その周辺に纏わり付くモノたちへ

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