受験前の振り替え休日。休みの日は逆に普段よりも目が覚めるのが早いのだが、今回は泥のように眠って昼だった。目を覚ます。ここはどこなのか一瞬わからなくなる。実家。工事をしていることもなく、車がすぐ側を通っているわけでもなく、ただ静かで、ひとり暮らしのアパートよりも風も入ってこない。がっしりとした骨組み、木の匂い、わたしの部屋の匂い。なんとなく、ひと気がある。安心感。泥のように眠りから覚める×2日繰り返し、ようやく復活のきざし。朝から目が覚める。おはよう。
お墓参り。最近天気良かった気がするけれども、いつの日かの強風だろうか、しきびたちが散乱している。とりあえず、自分の家の墓の近くのものだけだけれども、元あったであろう場所に戻す。祖父は転けることが増え、車に乗ることをついに辞めたらしい。家のすぐ側、わたしの部屋から丸見えの、坂道を上ったところにあるお墓にも行けてないのであろう。草も生い茂り出していて、とりあえず気になるものだけをむしり取る。だいたいいいかなと、気づけばお墓の周りは、むしり取った草だらけ。そうか、思ったよりも生えていたんだと思いながら、かき集める。土の匂いがする。今朝の久しぶりの雨で、土は柔らかかった。出くわしたくはないと願うが、時たま出てくる今更ながら、見たこともない虫がいる。いつもありがとうございますとお墓に手を合わせて、後にする。竹藪がすこし強めの風でざわざわと揺れる。風にわたしも後押しされるように坂道を下る。なにかは分からないが、圧倒的な春の匂いがする。そして、雨あがりは暖かい。
ここはわたしの、確かにいた町であり、交わった人たちや、そこにある自然が、なにかを確かにわたしに渡してくれていた。それは経験であり、思い出せば思い出になり、ふとした時に、あたたかい気持ちや生きる知恵、時には生きる糧としてわたしから出てくるのだった。
実家から高速道路を使い、今や住み慣れた、現実はここよとばかりにそこにある、わたしのアパートへ戻る道中。また雨が、ぱらぱらする中、普段の午後過ぎよりも、うす暗い中で、時折見える桜。だいぶ県をまたいで走っているので、ぜんぜんこれからな場所もあれば、梅なら咲いていたり、結構咲いているところもあった。この3月末、平日。大型車が多かったので、早めに出たために、お気に入りになりつつあるSAに、結構多めに立ち寄った。行ってない場所の、お土産を物色し、結局、思いつく人や自分に買ってしまう。
桜。どこでもあるのだろうか。ジブリの『ホーホケキョ となりの山田くん』でもあったけれども、桜を見た祖母が「この桜、あと何年見られるんやろうか」みたいなセリフ。わたしも祖母としたことがあった。
8番らーめんを食べてから、祖父のワゴンRに乗って、ラジオテープで吉幾三を聞きながら、枝垂れ桜を見に行ったのは、わたしが今の町に来る前。もうじき家を出なければならない時、ほとんどもう桜は散っていて、この辺り、地元の人の中では有名な、山奥の名所の枝垂れ桜を見に行ったのだった。祖母はもう癌でここからはよくならないと、祖母自身も、みんなもぼんやりわかっていて、それでもそんなわけ無いやんと思いながら、わたしは、すぐには帰って来れなくなることがわかっていた。家より近い祖母の家には、学校帰りだけでなく何かにつけて、頻繁に行っていたので、その祖母と会えなくなることや、指を折って家を出る日までを数えていたので、そもそも離れるのが寂しいこと、いろんなしんみりとした気持ちを抱えながら、その日を過ごした気がする。「さあ、ばあさんもがんばるんやから、がんばるんやで!」と後押しされた日。町を出る前、ゆっくり祖母と話して、過ごせたのがその花見が最後だったように思う。桜の季節。いつも思い出すのが、この日のことだ。
その花見に一緒に行った、下の弟もいよいよこの町を出るらしい。ここ数日間も。相変わらずゲーム三昧だったのだけれども、こんな風に日常を思い出すような日が来るのだろうか。いや、じめじめせずに、そんなこと、忘れているくらいの方がいいと思う。そう願う。
残り2日しか地元にいられない弟を、普通にスマホのいろいろが面倒で、一緒に車に乗って連行し、ついでにわたしが帰るための買い物、諸々に付き合わせた。とりあえず、小さい頃から行っているパン屋、わざわざ遠回りして海沿いを走り、無駄に窓を開けて匂いをかぐ。海産物センターの匂いのほうがきつく主張してくる。高校生御用達、高校の側のスーパーへ寄り、そこの巻き寿司を買う(そこの酢飯が美味しい)。帰り際、独特のそのスーパーの匂い(たぶん、たまに来る屋台のベビーカステラ+常設の焼き芋+元々のそのスーパーの匂い)をマスクとって、目いっぱい吸ってから出る。そこはいつものドアの音であり、店内BGMだった。普通に生活してたら、絶対そんなことせんような、端から端の店や場所のハシゴをして、町から町を行き来し、帰宅した。毎回帰省すれば、1日で詰め込んでするのだが、思い出を、半日かけてかき集める作業だと思っている。安心するのだ。そしていつも、今回の帰省のことや、今までのことのいろいろを思い出しながら、今や日常ではないそれらを、何日もかけて食べたりするのだった。
そんなこんなで、4月1日。エイプリルフールか。高校生の頃は、春休み。部活に明け暮れていたけれども、合間をぬってちゃんと図書館で勉強していた。(圧倒的に、昔の方がちゃんとしている。)友達が、その場にいない友達に、友達が好きな人と無事に付き合ったっていう嘘をメールで報告しては、反応を楽しんだ日があった。(本当に最低で、最強で、そんなことでわーきゃーしてたことが平和すぎて、平和すぎて、高校すげえなと思います。)
最低で最強だと思っていたあの頃も一緒に思い出す。また桜の季節がやってきた。たぶん今年で家でて10年目っぽいです。
ばあちゃん、ばあちゃんが捨ててなかった手紙の下書き(自然な感じで書いてるけど、嫌味っぽいやつ)見つけて、なんか元気になりました。わたしも、何くそと思う気持ちが分かる瞬間が出てきたんやけど、変わらず同じ思い出でしんみりもしとります。
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