またノエル・ギャラガーが手を後ろに組みながら歌っている写真をスマホの壁紙にしてしまった。
夏ごろだろうか。昼からではなくて、朝から晩まで働き詰めのとき、いろんなことが重なった結果、ちゃんとCD買って、英語聞き取れないままに口ずさみながら、寝坊を取り戻すかのように車爆走させてたのはこの私だ。自分に言いきかせるように、歌いながらたたかいに行っていた。結局夏を境に、ボーカルなしの音楽を聞けていない。
ちょっと抜けてるくらいが、ばかばかしくてちょうどよい。誰にも分かってもらえなくても、勇気をもらい、一人でわくわくしている。そのどちらもが心地がよい。ドラゴンボールのマイティマスクに扮する悟飯や、孤狼の血の鈴木亮平、オアシスというバンド。それらは、わたしの心の支えであり、待ち受けにするくらい分かりやすくしても、わたしをがっしりと守ってくれていた。
映画「グランドプタペストホテル」の全ての見せ方やセリフは終盤のエレベーター降りたところがすきだけれども、今回の「フレンチディスパッチ」は微妙で、だいぶ退屈していた。ドラゴンボールGTは全然進まなくて、一話観る前に寝落ちしている。日々のたのしみすぎることから出てきている、がっかりすることたち。これはこれで、一人で噛みしめるだけだ。“残念だった”ということを噛みしめるのは苦痛ではなぜかない。いい訳なんてないのに、やっぱり微妙だったという事実に、うまく言えないけれどもよかったと思う。「どーせ、こんなもんなんよ」と思える感じ。安心なのだろうか。
どちらにせよ、わたしのことだなぁと思う。めちゃくちゃドンピシャに、大々的に言えるようないいことがあるわけではなく、だいたい残念な感じの空気感が漂っている。
そうなんよ。なにもかも。大きなものや、印籠みたいなものを振り回せられんから、じめっとしたことを、ぼそっと子どもに伝えているのだと思う。いつの間にか遠いところまで軽やかに飛ばしてくれるので、ありがたい。その感じの空気感の関わりがある。
夏から波もなく、毎日イライラして、悲しくなって、冬になってぴたっとなくなり、仕事量増えてるのになんなんだーと思っていたけれども、そうか、妊婦さんと働くことが意外にわたしのメンタルえぐってきてたんやなぁと気がついた。読んで傷つく人もいるであろう文をごめんなさい。今は乗り越えてないので、こんなことにネチネチ執着している。冬は一緒に働いてないもの。夏はごりごりに気を使うを重ねすぎて、死んでたんやなぁと先週くらいにふと気がついた。
ただでさえ気遣いがち、考えすぎだと思っている節あるので、もうそれ以上は無理よ。そして、子どもを産んだことはないので、想像が出来なさすぎて、圧倒的に死んでたのだと思う。もう無理やん、分からんやんってなってた。そもそもが働きすぎなので、そんなにわたしの身体、動かんで?ひとの分までとか、もう無理やで?ってなっていました。だってすでに100パーセントだもの。でも、どうにか手助けしたくなるやん。せんとだめな雰囲気やん。無理やんってなってました。ごめんなさい。勝手にわたしがそう思ってただけです。
いろいろ気がついたと思ったら、なんとまあ、上手いことできてて、また次の妊婦さんが現れ、((もう、ほんま、かんべん!!!))ってなって、ボロ泣きしながら車運転して、帰宅したのがこの私です。前回よりも、どことなしか心はまだ荒れてなくて、自覚してる分の落ち着きであってほしいと思う。しかしながら、無事に産まれるまで、まだまだ荒れ狂っていくのかしら?という、自分をコントロールできなくなる恐怖がある。
試されてるなぁと思いました。
「電車に飛び乗りさえすれば、どこだっていけるんよ」と思っていたころ。早朝に起きて、そのまま港へ。そっから島二つとか。そしてまたゲストハウスに連泊して。。そんな気力も体力もなくなってきていることをなんとなく自覚する今。すきなことははっきりと増えたのだけれども、全然それらは圧倒的に価値は出てこない。評価の対象とすることが間違ってるんだとそれは分かってるけど。自分で楽しむしかないさみしさは嫌いではないけれども、重なってずっとは無理やでと歯軋りしている感じ。
でも、誰しもがここ数年もってるやつやと思っている。私の想像できない範囲でみんなしんどいこともあると、もう一度想像したい。
それでも、自分で舵を取ってる感があまりにもなくて、ただただ身動きとれずに沈んでいると思ってしまって、目に見えて、分かりやすく保証されていて、賞賛される人が羨ましくなってるんだろうなぁと思っている。そんなこともあるよ。こんなことばっかりよ。と慰めたい。入ってきた部下が能力見えるように高すぎて、わたしは、見えんところ担当でいくんやと思っている。
こんな時は、帰ってテレビ付けたら始まる番組「あちこちオードリー」よ!という気持ちにもなれず、なぜか、こち亀の「おいでよ亀有」を思い出し、YouTubeで流しながら、『ハイツひなげし』よ!と第一章をめくった。物語自体、重ねられるところはないのだけど、ボロボロ泣いていた。温度感が安心できるのだと思う。わたしにはいつまで経ってもこれらが思い出とともにあるので、まだまだしぶとくきたなく泥くさく生き延びるわよと思っている。
こち亀とか、日曜の夜にやってた時、その次の日から始まる学校に大絶望してた思い出しかないけど、きんぴかぴかーっとしたことが今までなかったので、たぶん大丈夫やで。
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