「F太郎通信がくる!」
あんなに待ち望み、来る日まで数え、願っていた金曜日が来る頃にはもうそんな日は通り過ぎているはずやろうに、、というくらいには力尽きている0時過ぎ。なんとかお風呂からあがり、なんとなく罪悪感があるけれども、こうせざるを得ない程、帰宅時の部屋の停滞した空気とそこでふくらみ続けた温度の中で抗うように勝手に決めたエアコンの温度。お風呂上がりにはみ出たその冷気の方へ、ドアを開ける。茹であがり、のぼせ気味の世界から反転、一瞬で身が引き締まる思いをする。冷たい空気を身にまといながら深く呼吸し、その日一番かなというくらいの心持ちで心身ともにふぅーっと腰をおろす。
スマホを開いて、週明けからわくわくカウントダウンしていたのに、いつの間にか忘れていた頃にその通信は来る。メールBOXの受信に一件追加の表示。なんとなくのついでの合間に雑に触ってしまったスマホだったが、どことなしに座り直して丁寧に読みはじめる。
わたしのもとに届いた最初のその通信には、イギリスのバンド「オアシス」のことが書かれていた。オアシスと言えば、名前は知らないにせよ、CMなどなどでどこかで誰しもがいつの間にか耳にしている有名な曲がたくさんある。初めてわたしがそのバンドを知ったのは、とてもお世話になっている人から一方的にダビングされたCDを渡されたときだった。よく分からないまま聞き進めていった時に、やっぱりわたしもある曲で、へーこれってこの人達なんやーと思ったのだった。オアシスというバンドは、バンドを知らないわたしの生活にも気がつかないまま入りこんでいたし、バンドの話題なんか一切聞いたことがない母とも一緒に車に乗っていた時、すこし自慢げにかけていると「あんたなんでこんな曲知ってんの」と言われるくらいにはみんなが知っているバンドであった。
リアムギャラガーとノエルギャラガー兄弟のバンドとしてのオアシス。その通信には、「悪童ギャラガー兄弟のことが、僕は今でも大好きです」と書かれていた。そして、「彼らは偉大だけれども神聖ではなかった」、「偉大なものがすべて正しいものなんかじゃない」と言葉が続けられていた。
そして、なぜ彼らの音楽が支持され、彼らを知らないわたしのもとにも届いているのかという話の中で、彼らの音楽がキャッチーでかっこいいということが理由として挙げられつつも、“俺たちは何かの見本なんかではない。俺たちはただ正直にやっているだけだ”というインタビューでのコメントが紹介されていた。
この通信は、何度も同じ行を読みながら、少しずつ読み進めて、読み終わった。読み終えた後にも、何回も開いては読んでしまっていて、メールBOXも「F太郎通信」のBOXを作ってしまった。リンクに曲『ワンダーウォール』が貼られていて、何回も聴きながら、その何日か後にはCDを買ってしまっていた。
CDに付属している冊子の[ヒストリー]の項目の中には、貸してくれる人からよく聞いていたものも書かれていた。「MTVアンプラグドに登場するが、リアムは喉の不調で、急遽ノエルのアコースティックライブになった。しかし、リアムはバルコニー席でビールとタバコを片手に鑑賞」それがバレているという。考えられないくらいの「悪童」っぷりだった。「酔って暴れて入国できない、暴れて逮捕、失踪、大喧嘩し突然脱退、殴って警察で取り調べを受ける」などその他にも沢山あった。
なんだか、いろんな気持ちを通り越して、仕事帰りにポストに届いていたCDを開けて、このヒストリーを読みながら、音楽を聴いていたら元気が出てきた瞬間が確かにあった。細かいこと、一人でにどうにかしたいけど、どうにもならないことに苛々している自分が馬鹿馬鹿しくなった。曲がキャッチーで、心が踊って、心にすっと響いてくるこの音楽は、子どもが問いかけてくる言葉同様に、「正直」だから、「正直に」モノを作っているからこそのものなのだろうとなんとなく改めて分かったように感じた。
マーケティングや、世間で売れているからこれを売るというのではなく、「正直に、ただの人間」として。通信では、「モノを作る人間として、とにかく正直にいようと思います」と締め括られていた。等身大で、かっこいいなと思った。
「F太郎通信」の存在を知ったのは、忠地七緒さんの『あわい』から。忠地さんは、写真・文・編集を一人でされて、つい先月『あわい』が発売された。昨日、ちょうど忠地さんの『あわい』に関するインスタライブがあった。この本にこめられたデザインやエピソードなど、モノを作る過程の思いを丁寧に知ることができ、再びページを丁寧にめくるきっかけになった。印象的だったのが、“今だから書けることがある。書かざるを得ないこと。書いたことで、長年自分を縛っていた鎖のようなものからすこし解き放たれた”というニュアンスのことが言われていた(違ったらすみません)。
わたし自身もすこしだけ正直にいる場を開くことで、自身を縛っているものからとき解くことができるのではないかなぁと気がつけた。自分自身の大事にしている世界観を自分が作ること、それはどこにいても何をしててもできることがあるだろうなぁと思った。文字を書くこと、知人と飾らずに話すこと、好きな音楽や映画、本に没入すること。その時々の方法で、心に正直に、選んで感じていきたい。
『あわい』には、わたしにとって御守りのような本『ハイツひなげし』『りんどう珈琲』を書かれた著者の古川誠さんのロングインタビューも掲載されている。「F太郎通信」は古川さんが毎週書かれているのだ。
金曜日、心地よい夜風が吹いてくる。
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