複雑化したこの世の中、オールオッケー  『日本習合論』を読んで

すきなものはすきだと、それを自分が深く知っていけばいいのだと改めて思った。


内田樹先生の『日本習合論』を読み終えました。目次からは、宗教、農業、地方、仕事、会社、政治などと幅広い内容で、わたしは読みながらも、“めっちゃ進む!”ところと、“めっちゃ寝そう…ぜんぜん進まんぞ…”なところに分かれていました。特にあまりまだ考えたりしたことのない所で思うのが、内田先生の文の進み方についてでした。これを言うために、あっちに行ったり、こっちに来たりと色々な人の言葉を引用されたり、体験や実例を示されるので、“なにかは分かるけど、結局よく分からない”みたいなもやっとした気持ちになっていました。今までに読んだ内田先生の本でもそういう気持ちになることがあるのですが、いろいろ読んだ結果、なんやかんやその年月の経た結果、本と本の何かしらが繋がってきたり、“ここは前どこかの本に書いてたことと同じ感じだなぁ”とか思ったりするのだと思いました。


今回の本の中では、「あれって、これのことか」ということが書かれていました。全く違う領域のもの同士から、結びつきがあると直感することがあるということ。そのことを“創造”と呼んでおり、内田先生自身は、合気道とレヴィナス哲学の話だったのだけれども、その二つに関係があると思うのは、世界に自分一人だろうと考え、それを言葉にするには修行をさらに重ねなければということだった。
よく分からないけれども、興味のあることとかすきだなぁと思うことは、気持ちが済むまでとことんそのものを知ったり、浴び続けていたいと、そこに時間をかけたいと、そういう姿勢でいようとなんとなく思ってきたのは、今5年くらい周りの人から学んで得たものなのだけれども、これからもそんな感じでいくと今のところ思っています。

この本のあとがきの中では、「僕の習合論は以上です。なんだか話があちこちへ散らばってしまって、読みにくい本になってしまったと思います。」から始まり、最近の「話を簡単にすること」が良いこととして、「話をややこしくすること」は悪いことだという考えが常識化してしまっているようだということが書かれていました。それにはメディアも関わってきており、でも、生物は、細胞分裂して、環境に適応して、と進化して複雑化していくよねということでした。

心に残ったところは、その後の、「みんなが好き勝手なことをしているけれども、自ら調和が達成するというのが僕の理想とするところです。そういうナチュラルな調和は、ひとりひとりのプレーヤーが「ほんとうに自分のしたいこと」をしているときにしか実現しない」というところです。いい悪いはなく、みんな「すきにしなさい」ということ。一つをいいと考え、他を排除するのではなく、みんなで幅をもつこと、なにかを共同でするなら、いい塩梅で落としどころを見つけていくこと。内田先生は、頭が賢いというより、頭が大きいというような表現をされていました。曖昧さ、あわい、抜け感、生きる、なんとなく料理も演劇も音楽も古典も、ジャンルは違えど、読んでいるもの、すすめてもらっているものはそういうものかもなぁと感じました。やっぱりそういうところに行き着いていくのだろうか、この本は凄くボリュームがあって、読んでいるだけでも、複雑なもの、習合していこうとする姿勢をまずは知らず知らずのうちにひとまず体内に入れてみることができる本でした。噛めば噛むほど〜のように、年月が経てば感じることができるかなぁと楽しみになりました。


最近、映画部だけでなく、音楽部が始まった。2年前にちらっと教えてもらったときにはピンとこなかったのが、今、シャネルのコレクションの動画をずっと見ている。20分くらいの動画で、服のコンセプトとその雰囲気にあった会場づくり、音楽、、半端ないのである。今は、キューバの動画と、ビーチの動画が特に終わる時に半泣きになるのだけれど。この時期にこれを知れて、ここ2年くらいで一番感動している気がしている。。見終わると、花火の後とか、祭りのあとの気分になります。。
当分、ドラゴンボールとシャネルのコレクションの動画を浴び続けていく年だと思っています。勉強的知識ではなくて、すきなもののことを集め続けるという方法もあるということに気がつきました。なんか今のところちょっと納得。


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