感じたことのあるような気持ちとともに、その頃の背景や置かれている場所、登場人物に会ってしまうような本。どうしようもない状況と感情をじりじりと与えてくる。
SNS上で見て知っていた燃え殻さんから小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が出たと知ったのは、尾道の「本と音楽の店 紙片」立ち読みしていた時に見つけたのだった。当時、大学生で、普段の状態に加えてすっかり傷心していた気がする。どうしようもない気持ちを振り回しながら、読むことないような小説を海沿いのベンチや展望台の隣の石の椅子とかで、気になって読み続けていた。展望台行きのロープウェイの乗客がにぎやかに降りてきていた時間も過ぎた頃。夕方、風が強くなって、日が暮れてきて、肌寒い。全然物語としては同じことがあった訳ではないのに、部分部分の気持ちにはどことなしに心に刺さって思い出さなくていいことを思い出したりする。
『すべて忘れてしまうから』はとある雑誌の連載を加筆修正した本であり、この本も同様のものの2冊目である。SNSで、その雑誌の連載ページの一部分の文章とイラストが流れてくる。イラストがはっきりした色合いで、文章に当てはまるであろう人物が描かれているかと思えば、時空が歪んだような整合性の取れない、現実味のないような不思議なイラストが印象的であった。こちらのタイミングによっては、その刺激性からあまり受け付けないのだが、その独特な雰囲気がすきだった。地に足つけたというよりはむしろ、這っているような、そこら辺に転がってそうな、周りからしたら物語にしたくなるような、ざらざらと砂利っぽさの残るものだった。本になると知ったときは、とても嬉しかった。
つい先日、月一の読書会で、“本は読み手に余白をくれる”というようなことを聞いた。そのことで、確か“白黒はっきりではなく、直面した事がらに対して、余裕というか濃淡であるだけというような余白をくれる”ということだと勝手に思った。“想像すること”という当たり前のなのかもしれないけれども、深いような気もしている。そんなことを、確かにそうかもなと読み終わったあと思い出したし、自分自身もそのまま許してやりたいなとも思った。
「新しい高校で友だちができない」という子が最近いた。前後、身の周りの席の子とも話はできるが友だちという程に仲良くできず、本を一人で読んでいると言っていた。誘われることはあまりないのに、その誘いさえも断ってしまう今この自分の身として、いい感じに終着点を見つけたかったのだが、ただただなにも見つからず、言えずに「見つかる!まだこれから!!」とかいう話で終わらせてしまった。数日経った今思うに、なんの本読んでるのかとか普通に聞いて、そっち方向に開いたらよかったのかなというのが、今の思い出し。
エヴァのこと、公開してもうすぐ2ヶ月くらい経つからか、話し出したら止まらず盛り上がる子が最近周りにいなくなってしまった。今や映画館も1日7回上映とかで、気が向いたら行って楽しんでいたけれども、もう1日3回とかでびっくりしてしまった。わたしも興味や関心が移りがち。今のところ、2、3日間隔→毎週→隔週というように、間隔変わりながら予告映像とか今のところ、まだ楽しめてはいる。時間は進んでいる。じっと好きなことを突き詰められる人がとてもとても羨ましい。たぶん、生涯かけて、死ぬほど夢中になれるすきなものを探していると思う。映画や本や音楽などを受けとるときは、みんな誰しも一人かもしれない。。とか思いながらも、こういう状況下ではあるが、近しい人と楽しそうにコーヒーとかケーキ頼みつつ、ゆっくり話ししている人たちをみて、よく羨ましくなって1年経った。どっちの気持ちもあるけれども、捻くれながら、感情の波を行ったり来たりしているなと思う。
そんなこんなで1人の時間にひっそりすきになった燃え殻さんの本『相談の森』を読者のすすめさんが紹介されていて、すこしだけ嬉しくなった。またSNS上で新しい小説が夏に出ることも最近知った。
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