たけのこをもらった。アク抜きされてるやつ。ぜんまいももらった。アク抜きされてるやつ。
急に実家からも、クール便が送られてくる。なぜか、肉とかほうれん草とか。あとは、えびの高原のウインナー、淡路島牛乳入りのコーヒー牛乳、淡路島牛乳かためプリンなども。
認識してるけど、手短なところにはない選択肢。帰ってきたら、座り込んだら動けない。作る気力はもってのほか。最低限をして眠りにつく。なぜ弟は仕事してからちゃんと作れているのか謎。世間の方々はなぜちゃんと作れるのか、わたしはその時間をなにに充てているのか。。
謎だらけなのですが、この作る流れが完全に用意されたので、作りました。
たけのこ煮たやつ。においが、夕方、近所歩いていたらするやつ。これこれとなる。みりんとかしょうゆとか、煮物のにおいなのね。部屋中充満したら、換気扇を。久しぶりの換気扇。ゴーっとなる。部屋中の空気がかき回されている。肉を焼く。パチパチ、ジュージューわかりやすく、食欲そそるよう、CMにあるような音たち。ついでにと、久しぶりに弁当箱にも明日用にと詰める。貰っていた、切り干し大根と昆布をらっきょ酢でつけたやつも詰める。昨日より確かに味がしゅんでいる。天日干ししたら、普通の大根よりも栄養価高いらしい。手軽で、味はさっぱりしていて、美味しい。
たけのことぜんまいはアクの抜き方が違うらしい。米ぬかとか木の燃えたあとのくずとかは昔からの手法で、なにかの粉が手軽だ。と言っていた。手で作ったものの温かさといえば、じんわりとする温かさだった。久しぶりの人工的ではない味。味の染み方はまちまち。はっきりとはしない曖昧さ。これだ!『料理と利他』で言っていたことは!とも思った。あとは、食べてると、このタイミングでこれあったらなぁとかぼやんと浮かんだりした。こういうことの積み重ねで、作りたくなってくるのかなぁと思った。
明日の朝のゴミを捨てに外へ行き、ひんやりとする風にあたり、地面のコンクリートの色が変わっていて、雨だとしり、ポツポツふっていることを確かめ、傘を取りに部屋に戻り、再びゴミ捨て場へ。今日は雨だったらしい。雨のにおいをかぎ、嬉しくなった。今日も、いつの間にか夜になっていた。部屋に戻ると、懐かしい、「作ったにおい」があった。その気配、あたたかさ、包まれながら今日はまた眠りにつくのだろうと思う。
甘やかしてもらい、周りの優しさのなかで生きている。ぜんまいの調理はまた明日以降。。
シンク周りごちゃごちゃしすぎて、明日の弁当、全部ひっくり返すイベントも発生。これは、聞いた細菌の知識を思い出しながら、大丈夫だと自分に言い聞かせて、上の方を気を取り直して詰め直す。。
こっち来てから見ないけど、淡路島牛乳とえびの高原ウインナーはやっぱ全然違うんだから!!と言いたい。なにも思ってなかったけど、やっぱりちがうんやわと、小さい頃に食べてたものは味覚や感覚の記憶に残っているのねなどと、すげえ喜んだ。。出会った際には口にしてほしいな。
料理をつくることで回復していきそうなところと、料理をつくることはほかのものをつくることに通じていそうなところ、料理は感覚を思ったよりも使っていて、いろいろと引っ張っていってくれそうなところ、
料理を作るライフと仕事のライフはいいバランスにして、生活を整えていきたいなと思うところですね。
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