ようこそ!行ったり来たりのワールドへ!  『子どもたちの光るこえ』を読んで

まず、この本はあたたかい。はじめから最後まで本の表紙の手触りを感じながら読んだのは初めてだった。血の通う人の皮膚のように、この本にも生きているようなあたたかみがあり、触れながら読んでいるだけで、人のぬくもりのような安心感があった。この本は、手に渡ってから、読む人のことを考えてつくられている。ものづくり、すごいなぁ。


2つのエピソードが印象的だった。失語症になったさっちゃんの卒業式と問題行動があり、17秒しか体育館にいられなかったシュウの卒業式だ。独りになっていたところから、“ここにいていいんだ”と本人が思えるようになったとき、その子自身の周りに、次々と関わる人の顔が浮かぶようになった想像をしていた。浮かぶだけじゃなく、なにもしなくても、“ここにいていい”というあたたかみと安心感。周りに人がいて、受け止めてくれると気づいたから、みぞおちの辺りがじんわりあたたかくなる。どちらの子も“ありのままの自分でいい”と思えたから、そのままを出して、委ねることが出来たのかなと思った。“泣きそう”というより、わたしは、気がついたらぼろぼろと泣いていた。わたしの心もあたたかく、緩んだ。著者の香葉村さんは、「子どもたちは心を受け取る力に長けている」という。
子どもたちのことを守らないといけないと、つい先回りしてしまうけれども、やっぱり、もうすこし忍耐づよく信じたいと思った。子どもたちは、子どもたちのペースでやっていける。


「子どもたちは、シュウから叩かれても逃げなくなりました」という一文から、生活支援員として働いていた頃のことを思い出しました。その時期は、よく叩かれるから、叩かれない距離をとろうとしていました。(今からすれば、当時、わたしの叱り方がよろしくない→叩かれるの関係性だったと思います。)わたしは隣に座ることはなく、もしもの時にそれを防げる距離感を保っていました。ある時、その方がテレビを見ている時、夜勤明けの疲れもあり、わたしも一緒に見ようと隣に座りました。その方は、テレビをただ純粋に見たくて楽しんでいるのだと思っていたのですが、一瞬こちらを見られたのです。あの時の表情が忘れられません。その後、一緒に過ごしていく中で叩かれることも減っていきました。
ずっともやっと整理はできていなかったのですが、振り替えってみて、自分自身の支援のあり方、子どもと関わる中での基本的な態度をつくってもらったのは紛れもなくその方のおかげだと、今回思い出して、思えました。


毎日仕事の中で子どもたちと関わっていると、子どもが“感じとってるなー”と感じることがたくさんあります。なんとなく笑かせようとしにきたり、心を支えてもらっている感じ。子どもたち一人ひとりのワールドの中から、がんじがらめになったわたしを手招きして引っ張っていってくれます。「イッツア スモールワールド」って、脈絡完全無視で、なんでか、仲良い子どもがよく言う。
「これ持って、20秒間歌を歌ってください」わたしはとりあえず、細長くて先だけ違う素材のブロックをもって、歌う真似をする。20秒後、「あなたの胃の中には、生クリームが50リットル入っています。実は、マイクから生クリームの粉が出ていたのです!!!」はぁ?!なんなん…!!という具合に、キレたふりしながらゲラゲラ笑います。福祉と教育、なかなか交わらないなぁ、うまくかみ合わないなぁと思うことがあるのですが、わたしはわたしのスタンスで、日々子どもたちのワールドに引っ張られながら、いったりきたりしていいかなと思えました。

また、香葉村さんは、「一人ひとりの中の光に向けて、光を信じて伝えていく」ということを言われていました。大切なことはその目の前に起こっている事がらじゃないということ、目の前にいるその子の良いところに目をむけて、心から面白がりながら一緒にいたいなと思いました。

本を読みすすめながら、これ、『しずけさとユーモアを』の中にも出てきてたなぁとか思い出したりしました。いったりきたり、立ちどまったりと、また読もうとする読書体験ができて、そんなあたたかい流れの中にいられることを嬉しく思います。
この本は、カバーをめくっても、また違った発見があります。大切なことは、すぐには目に見えなくて、見ようとしなければ気がつかないなぁとまた心がじーんとしました。絵のタッチも個人的に、表紙と比べると当ててる焦点の大きさが違って、血が通ってる、ありありと生きている感じが溢れていました。

ものづくりはすごいです。
一貫して、心に届けにきてくれる一冊です。


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