「いっつも食べとる場所、あるのに、なんでここで食べなあかんの?」
2階の畳の部屋。
仏壇もある部屋。
いつも食べているのは1階。
なぜなら、厨房もテーブルも食器も全て1階に揃っているから。ごはんを食べるのは1階。
2階で食べるのは非日常だった。
2階には、じいちゃんとばあちゃんの寝床があった。他には、その部屋を経由すると行けるベランダがあった。錆びていて、緑のペンキが剥げているそこは、老朽化が進んでいることは誰にでも分かるベランダだった。けれども弟とする喧嘩の時も、又従姉妹達とする鬼ごっこの時も、なぜか最終的にそこに吸い込まれていくのだった。
「こら!どたばたしとったら、底抜けるんやから!」と、その時、その場所で布団を叩いているばあちゃんによく言われた。
「はい、はい」と、目の前の戦いに生返事しながらも、わたしは、ベランダがどう朽ちるのかについて、後からぼんやり考えたりした。
四本の柱が腐って、まるごと下に落ちるのか?水たまりのような腐り切った箇所に、たまたま足を踏み入れて、そのままごそっと抜け落ちるのか?
日にあたったベランダの、ペンキの剥がれた場所は、裸足で歩くとあたたかいを通り越して火傷をする。
また、そのベランダは、隣のおばちゃんの家のベランダと並んでいる。
雑巾で拭き掃除をしながら、動きまわっているばあちゃんの後を、わたしは話しかけ続けながらついていくと、そこにたどりつくこともよくあった。隣のおばちゃんは、にこやかにベランダに置いているたくさんの植木鉢の手入れをしていた。
「このインパチェンス、立派になったなぁ」
「この花、今年いいようにつかんかったわぁ」ばあちゃんの友達の中で、珍しく沈黙の間がある、隣のおばちゃんとの会話。わたしは何をするでもなく、ただ側でぼーっと聞いていた。
けれども町内会の話になると、二人の会話は早口になり、そして、ある意味静かだった。
「下のとこまで、よう声、届くんやから」
「でも人、通ってないやん」下の道路を指差してわたしは言う。
“みんなが聞き耳をたてている”という意味が、よく分からなかった。どんだけ耳いいんやと思った。
2階には、寝床とベランダのほかにもう一つ、畳の部屋があった。
そこは、仏壇と床の間がある部屋で、又従姉妹たちが来ればそこが寝室になり、わたしたち家族も正月や祭りの日に行くと、そこで過ごすことになっていた。
1階から人数分、かつ安定する枚数を重ねた小皿やお茶碗、湯呑みをお盆に載せ、両手にポットに炊飯器などをさげ、総出で階段を上り下りしてごはんを食べる準備をする。
わたしに壊れものは託されない。スーパーで頼んでいたお造りやお寿司、オードブルなどを、すでにじいちゃんと軽トラックで取りに行っていて、わたしは専ら、その青いビニールの風呂敷に包まれたそれらを運ぶ係だった。
壊れものではないけれども、「そおっと持って上がるんやで。斜めにしたら全部いざるんやからな」という声はかかる。
「この階段、やっぱり急やわ」と息を切らしながら、ここが実家なはずの母が、毎回何度か言う。
「いっつも食べとる場所、あるのに、なんでここで食べなあかんの?」
普段、全て揃っていて、すぐに食べることができる1階から、わざわざ2階に大移動させて食べる意味があるのだろうか?と、物を運んでいるとき、側にいた母に言った。
「お祝いごとの時はそういうもんなの」と母は答える。
今日は祭りの日のお昼。
そわそわして、じっと腰を据えて、目の前の料理を食べられていない。お腹は減っているはずなのに、普段よりも、好きなものがずらっと並び、ご馳走なはずなのに、「ほら、この辺いっぱいあるぞ。すきなもん食べなよ」と何となく揚げ物を指さして、譲ってくれているのに、なかなか食べ進められない。喉に食べ物がつっかえている感じがする。
「まだまだお獅子、来おへんから。まだ向こうの地区、まわってたわ」「食べんと行けへんで」「食べるのは今のうちやで」ばあちゃんも母もそう言いながら、食べ続けている。
わたしが危惧しているのは、祭りで来るお獅子を見逃すことだ。お獅子は、太鼓と笛、鐘などの囃子にのせて舞い、町中を練り歩いていく。その舞には一連の話の流れがあり、最初、一頭の雌獅子をニ頭の雄獅子が奪い合うが、最終的に三頭で仲良く過ごして暮らすというものだった。
お獅子をなぜそんなに見たいのかは分からない。獅子の舞を見ても、今、物語のどの辺のパートをしているのかも分からない。その祭りに行くということは、楽しさだけではなく、“身内ではない”という、その場にいると少しぎこちない、寂しい気持ちも感じるものだった。
ばあちゃんたちと一緒にその舞を見に行こうと玄関を飛び出ると、隣のおばちゃんや、真向かいの酒屋のおばちゃん、その隣のお風呂屋のおばちゃん一家、その隣の散髪屋のおばちゃんと、その娘一家などと道端で出合うことになる。
「何年生になったん?」「頑張ってるんやな」という一連の受け答えを行いながら、舞を見ていた。ばあちゃんの側で、その人達との会話を聞くことは心地がよかった。
その舞は、昼と夜の2部構成で行われる。そして、夜の部の最後は、ばあちゃん家から一つ家を隔てた場所にある会館にたどり着くのだった。
わたしは夜、ばあちゃんと一緒に町中を練り歩かせてもらったことがある。太鼓の音に、「やーやーやっ」とかけ声をするのだ。ずっと太鼓と鐘と笛の囃子だと思っていたら、お徳用のおかきが入っていたような深めの缶を叩いているおじさんもいた。昼から同じ缶で叩いているのだろう。その缶はめちゃくちゃにへこんでいるし、その上、どちゃくそにうるさい。太鼓よりも心臓に響いとるような気がするし、鼓膜破れるんちゃう?とも思っている。弟も「うるさい」と思っているのだろう。にやにやと半笑いでこっちを見ている。
「ほら、最後やからしっかり声出して、応援してあげて」とおかきの缶を叩いているおじさんに言われる。
練り歩いて、会館着。そして、最後のお獅子の舞が始まる。クライマックス、最高潮。昼間よりもたくさんの人が集まってきている。
大勢で囲いながら見ている、今年のこの祭りの集大成の時間は、お獅子の舞も、太鼓も鐘も笛の音も激しく、大きく、盛り上がっていく。そして最後、全て出し切り、舞を終えたところで、今日一番の拍手と歓声がその人たちにおくられる。今年、総監督をしたであろう人の「今年は練習が思うように出来ない中、よく頑張りました!みなさん本当にお疲れ様でした!」という話があり、また拍手喝采。そして、一本締め。その後に胴上げ。
最後に、ばあちゃんの後ろを着いて行く。町内会にいないわたしにも弟にも、ばあちゃんの一押しでどさくさに紛れてお菓子の詰め合わせを貰っていたのだった。
ばあちゃんが、知り合いの全てやり切ったおっちゃんや、今日昼間っから酒飲みまくったんやろなと思うおっちゃんとかと軽く言葉を交わしている。そして、「ほんまに、ありがとう。ありがとうなぁ」「ありがとうございました」と、側にいたわたしにも力強すぎる握手をしてくれた。
そして、「これから今日はこの人ら、ここで酒盛りやな」とばあちゃんはわたしたちに向かって呟き、徐々にその会館から離れて、帰ることになる。
歩きながら、腕や足の痒みに気がついたりする。さっきまで、わたしはこの祭りに没頭していたのだった。太鼓の音に紛れて、地元の人と同じように掛け声をかけながら、何食わぬ顔で過ごしていたのだった。いつ何に噛まれたんや?触っているうちに気になってきて掻いたり、爪を角度をかえて縦に押し付けたりしながら、徐々に思考が現実に戻ってくる。学校がもう明後日からまた始まるだとか、明日の水泳の練習はキツイだろうとかをじりじり考え始めているのだった。
会館から遠回りしたとしても、すぐに着くばあちゃんの家だが、大きな音から少しずつ遠ざかっていくと、少ししんみりとした気持ちになる。
帰宅後、本腰を入れて、食べることを再開する。終わりに向かっているけれども、今日のわたしには、まだ残された楽しみがあった。
「このオードブル、昔よりちゃちくなったよなぁ」とばあちゃんや母は、今日何度目かのことを言う。わたしは、昼間、心ここに在らずで食べていない、オードブルのエビフライやイカリング、いくらのお寿司や巻き寿司、赤身のお造りを率先して食べ始める。それ以上に、わたしは、お赤飯をしつこいくらいに食べる。
それは、ばあちゃんの得意先のお餅屋さんから毎年注文する、木の重箱に入った赤飯だった。基本的にわたしは温かいごはんがすきだけれども、赤飯は冷たくなってからがすごくすきだ。そもそも、一年を通してこの祭りの時だけ食べられる、このお餅屋さんの赤飯が、特段おいしかったからだと思う。
まず、重箱の蓋を「これ開くんかな?」とそおっと持って、開けることにわくわくする。蓋を開けると、温かかった頃の名残で、水滴に変わった蒸気が蓋からすべり落ちてくる。つやつやに光ったあずきと、ほのかな小豆色のごはんがどーんとある。そして、赤飯ってこんなに優しくて、いいにおいがするんか!と思う。小豆のにおいなのか、ごはんのにおいなのか分からないが、目を閉じていても「ここに赤飯がありますよ」と分かるにおい。そして、炊飯器では感じない、重箱の木のにおいもするのだった。
畳の上でしゃがみながら、その重箱の端っこを片手で掴んで、米より言うことをきかない餅米に、もう片方の手に持ったしゃもじを入れる。がしがしと動かして、引き離し、その小豆色のつやつやな赤飯をお皿に入れる。お茶碗に、ふわっと山みたいによそうのではなく、お皿にぺたんと入れて食べる食べ方も、祭りみたいに特別だった。
加えて、ごま塩は瓶から出すのではなく、この祭りの時だけスティック状のものを使った。赤飯をおかわりする毎に、何本も封を切ることができて快感だった。食べるとほのかに木の味がする気もした。
祭り終わり、冷えきった赤飯は水分をより含んで、よりもちもちしているような感じがした。2回、3回とお皿にぺたんと入れておかわりをするが、最後「デザートやから」と言ってもう一度、ぺたんとお皿に入れて食べる。
食べ終えた後、側にあるブラウン管のテレビで弟と一緒に番組をみていると、「瓶ビール、もう一本取ってきて」と言われる。じゃんけんで負けて、普段より薄暗い1階まで、駆け足で下り、再び2階の部屋に飛び戻る。
お寿司やお刺身を食べているしょうゆのにおいが、揚げ物やビールのにおいに混ざって立ちこめている。このしょうゆのにおいも、祭り独特のにおいのような気がしていて、特別な感じがしている。
翌日、朝ごはんで赤飯を食べる。祭りが終わり、自宅に戻ってきていて、重箱ももうない。大皿からわたしが食べる小皿へ、ぺたんと入れて、スティック状のごま塩をふりかけて、フォークで食べる。ここまでがわたしのお赤飯の食べ方だ。特別ですきなのだ。格別に美味しいのだ。
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